日曜日。曇。
ポリーニの弾くベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第三十番を聴く。昔から聴き続けてきた録音だが、不思議なことに、二十代の頃に聴いていたのと同じような感動を覚える。あれから、好みも聴く音楽も随分変わってきたように思うのだが。ベートーヴェン最晩年の深い音楽を、若き天才が弾くということ。技術的、解釈的にはポリーニの完璧さがあるのは勿論だが、形容しがたい瑞々しさ、静謐さがあって、まるで鎌倉期の仏像でも見ているかのようだ。二十世紀というのは、猥雑極まりない時代であったが、こんな芸術を生んだ時代でもあることを思うと、不思議な気分に襲われる。他にも、グールド、アルゲリッチ、そして晩年の巨匠たち。それにしても七十年代のポリーニとは、感慨深い存在だ。八十年代以降になると、ポリーニの音楽は円熟に向かうようになるが、次第に瑞々しさを失っていく。それは解体の過程であり、最近のブラームスなどは、既に形骸にすぎない。
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2009/11/11
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シューマン:ダヴィット同盟舞曲/シューベルト:さすらい人幻想曲
- アーティスト: ウゴルスキ(アナトール),シューマン,シューベルト
- 出版社/メーカー: ポリドール
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図書館。堀江敏幸の書評集を借りる。カルコス。「すばる」七月号の、吉田秀和追悼記事を読む。堀江敏幸のはまあまあ。小澤征爾のはよかった。「モーツァルトはわかってもらえないことを、わかっていたと思う」と吉田さんは言っておられたそうである。父レオポルドに「売れる曲を書きなさい」と言われて、努力した形跡があるそうだ。ああ、ここでブラックホールに捉まりそうだと思いつつ、転調を止めるといったような。晩年の弦楽四重奏曲とかかな。
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カール・マルクス『共産主義者宣言』読了。従来の「共産党宣言」から題名を変えたことについては、柄谷行人の附論を参照のこと。柄谷によれば、『宣言』に書かれたことは、現在進行中であるという。それは驚くべきことに、確かにそうだ。けれども、それらの認識は、今では必ずしもマルクスから受け取る必要もないことだろう。しかしさらに驚くべきは、その文体的射程である。有り体に云えば、何とマルクスは頭がいいのか、ということだ。考えてみれば、日本の近代的知性の中には、マルクスを自らに「インストール」してきた者がたくさんいる。(柄谷行人もそうだ。)われわれも、これに続かねばならないだろう。マルクスを己に「インストール」せよ!
- 作者: カール・マルクス,金塚貞文
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2012/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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