日曜日。曇。
NML で音楽を聴く。■バッハのイギリス組曲第三番 BWV808 で、チェンバロは鈴木雅明(NML)。僕はバッハの演奏はグールドみたいにコンピュータ的に正確に演奏するのが好みなのだが、これはかなり崩して弾いていて驚いた。でも、それが悪くないのだからバッハは奥が深い。
■バッハの管弦楽組曲第三番 BWV1068 で、指揮はカール・リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団(NML)。モダン・オーケストラによるバッハでいまでは多少古めかしいが、それにしても何という立派なバッハであろうか。まさにありがたさに涙こぼるるというようなものである。そう、もちろんエアが聴きたかったのです。ポピュラー曲でもさすがにバッハはちがうなあ。SIBELIUS, RAVEL, DEBUSSY, LUTOSLAWSKI
- アーティスト:Budapest String Quartet
- 出版社/メーカー: URANIA RECORDS
- 発売日: 2019/02/22
- メディア: CD
あんまり眠いので昼から一時間ほど寝る。
夕方、散歩。今日は曇っている。
アザミかな。(追記:外来種らしい。)
こんな建物、近所にあったのか。
なぜこんな田んぼの中にロケットが。NTTドコモ製。
熊野古道(ちがう)。でも「古参道」とある。
登ると何故か金刀比羅宮が。海なし県なのに、誰が勧請したのだろう。しかしここの存在は知っていたが、これまで登った記憶がない。
でかい蛇口。
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ライプニッツ『モナドロジー』読了。新訳。ライプニッツがわかるとはいわないが、それでもかつてに比べればだいぶマシに読めるようになったのではないか。ライプニッツは難解である。本訳書の訳者あとがきを読んでも、ライプニッツ理解に役に立つことはあまり書かれていない。訳者がどのようにライプニッツを理解しているのかあまり言及がないのだ*1。訳注は豊富なので、訳注で示したということか。(ちなみに訳者あとがきで物理学(あるいは数学)の「バタフライ効果」をライプニッツと関連付けているのはたんなる誤りである。「バタフライ効果」は非線形微分方程式のふるまいの予測不可能性(初期値への鋭敏な依存性)の比喩であるに過ぎない。)まあそれはよい。わたしにはライプニッツはわからないなりに非常におもしろい。「モナドロジー」の後半三分の一くらいが特におもしろい。そもそも以前はモナドというのがさっぱりわからなかったのだが、多少わかるような気がしてきた。モナドは「科学」に属するのではないのである。それはほとんど「宗教」であるとすらいえるだろう。また、ライプニッツにおける「機械」。これもおもしろい。訳者も書いているが、当時普及した顕微鏡による衝撃が影響していることは確実だろう。とにかく、もう少しライプニッツを読んでみたいものだと思う。でも、岩波文庫の古い翻訳を読み返すのはしんどそうだな。どうするかな。
ライプニッツを「科学」と考えると現在読む価値はなくなってしまう。たとえばライプニッツは真空を認めないが(ライプニッツは「空間は充満している」というような言い方をしている)、これはもちろん現代物理学の理解とは異なる。また、モナドに同一なものはないとされるが、量子力学的粒子(例えば電子)が二つある場合、その二者は区別できないどころか、まったくの「同一物」なのである(これは数学的用語以外では説明しにくい)。さらに、ライプニッツの「神の存在証明」を科学として捉えることはできない。云々。だからライプニッツは大数学者であり大科学者であったが、それらとして読んではいけないのである。なお、ライプニッツはデカルト(学派)批判で運動量は保存されないと述べているが(p.127)、ちょっと意味がわからない。ライプニッツはニュートン以降の人であるから、運動量が保存されることを知らなかった筈がない。あるいは、デカルト(学派)のいう「運動量」は、ニュートン力学でいう運動量とはちがうものなのかも知れない。訳注では「マルブランシュのこと」とあって、「衝突の規則」と補われているが、これだけではわからないのだけれども。もちろん物体の衝突時にも運動量は保存されるというのが正しい(運動エネルギーは保存されるとは限らないので、あるいはそのことか)。まあわたしはまったくの素人なので、たぶん見当ちがいのことを言っているのであろうが。