晴。
昼から県営プール。
外気15℃。いい天気で暖かく、気持ちがよい。
インスタントコーヒーを二杯飲んで、ぼけーっとする。
金柑とみかん。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第一番 BWV812 で、チェンバロはエヴァ・ムロフツァ(NML)。
夜。
■ウェーベルンのパッサカリア op.1 で、指揮はピエール・ブーレーズ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(NML、CD)。静かなところとかはいいが、ベルリン・フィルという鈍器で殴りつけるの、ちょっとやりすぎなようにも思える。これはもう音楽じゃない、感が強い。ブーレーズのことだから、ハッタリをかましているわけではないとは思うが。■ウェーベルンの管弦楽のための六つの小品 op.6 で、指揮はピエール・ブーレーズ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(NML、CD)。
邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』の続きを読む。承前。この長大な研究書も、あと少しになった。前書いたとおり、軽くスピーディーな、すばらしい文体。それに、すごい熱量だ。切れ味するどすぎて、圧倒される。本書は翻訳論という体裁ながら、藤本和子(とフェミニズム及びブローティガン)論とカート・ヴォネガット(とその日本での受容)論でもあるといっていい。日本のある側面のサブカルチャー論として、新たな地平を切り開いたと評価してもいいのではないか、といっても、わたしは頭が古くさすぎて、本書の斬新さを正当に評価できないとわかっている。わたしは高校生の時、ほとんど SF しか読まなかったのだが、メインストリームの SF作家ばかり読んでいて、肝心のヴォネガットは読んだことがないか、あるいは読んでもよくわからなかったか、どちらかだろう。いまからでも、『スローターハウス5』他を読んでみよう。それにしても、サブカルチャーはメインストリームの「文化的権威」というものがあってのサブカルだったわけだが、メインストリームの権威が消滅しサブカルだけになった今、サブカルはどこへ行くのだろうな。もちろん、いまではサブカルこそがメインストリームなわけである。
図書館から借りてきた、邵丹(ショウ・タン)『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』読了。アカデミックな文学研究の本はあまり読んだことがないので徒手空拳だが(もっともこのブログに書くことなんて、すべてその類いである)、とにかくおもしろい研究書だった。なお、村上春樹については、陽にはそれほどは触れられていないです。