池内紀『記憶の海辺』

日曜日。晴。さわやかな朝。
夢で、ドッジボールのボールみたいなポンポン弾むビニールボールの、発見と収集に関する一大スペクタクル(?)を見る。何でそんな夢を見たかわからないが、とてもおもしろい夢だった。

昨晩は澁澤龍彦を読んで寝たのだが、澁澤みたいな人はどんどん出てくるべきなのに、実際はめったに出てこないな。結局中沢さんくらいのものか。中沢さんは、澁澤は現代人に可能な想像力の全領域を踏破しおおせてみせたと言っていた。よく、澁澤龍彦なんて中学生、せいぜい高校生くらいまでに読むべきものと言われているが、自分は幼稚なので学生のとき愛読して、いまでも読んでいるという。こんなにイマジネールが豊かなひとは最近ではほとんど見たことがない。現代はイマジネールが貧困であるというのは紋切り型だが、真実であるといわざるを得ない。ひとごとではないのだ。

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NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ ホ短調 Hob.XVI:34、ロ短調 Hob.XVI:32 で、ピアノはアルフレッド・ブレンデルNML)。

3 Piano Sonatas

3 Piano Sonatas

ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」、シェーンベルクの六つのピアノ曲 op.19、バッハのオルガン小曲集から BWV639(F・ブゾーニ編)、ショパンスケルツォ第一番 op.20、ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」op.35、ブゾーニソナチネ第六番「カルメン幻想曲」、スクリャービンのピアノ・ソナタ第五番 op.53 で、ピアノは杉本恭子(NML)。杉本恭子、何者! 自分はまったく知らないピアニストであるが、たぶん既によく知られているのではないか。検索していてこのアルバムを見つけたのだが、収録曲からしてどうしても聴きたくなっちゃうではないですか。ものすごく意欲的な選曲である。いやあ、あれよあれよという間にアルバム全部を聴いてしまいましたよ。一言でいうと、ハードボイルド! 技術はものすごく高くて、「ペトルーシュカからの3楽章」を完璧に弾きこなしているが、それだけではない。日本人にはめずらしく明晰さがあり、構築性がすばらしい。そしてスケールの大きいこと。音も魅力的。変な褒め方だが、ドイツ・グラモフォンと契約してもおかしくないですよ。自分とは相性がすごくよくて、ショパンとかスクリャービンとか、心を奪われてしまった。シェーンベルクでも、op.25 じゃなくて op.19 なのが主張を感じる。いや、すばらしいピアニストを発見してしまいました。このピアニストで、リストのピアノ・ソナタ ロ短調とか、ショパンのバラードスケルツォの全曲とか、シューマンの「謝肉祭」とか是非聴いてみたい。
Virtuoso Piano Works

Virtuoso Piano Works

杉本恭子、全然無名らしいですな。マジですか…。アマゾンでの CD はジャケット写真がまちがっているし。何なのだ…。お前ら、これすばらしいと思わないの?

しかしこれ、無名というか、検索で見事に引っかかってこないのですけれど。ふつう何か引っかかるものだが。どうなっているのかさっぱりわからない…。

夕食後、寝てしまう。深夜に起きる。

図書館から借りてきた、池内紀『記憶の海辺』読了。副題「一つの同時代史」。母から廻してもらった本。自伝である。まずまずおもしろかった。よい時代を生きてこられたなあと思う。著者はみずからの偏屈ぶりをこれまでもよく筆にしているが、本書は偏屈者の自己証明のようなものだ。しかし、たくさんのよき人々と巡り合ってこられたものだと思う。私は、よき知人が多い人というのは、偶然そうなったのではないと思っている。思えばわたくしは、知人の少ない男であった。教師をしていても、生徒に慕われたということがなかったと思う。著者の半生を読んでいると、そういうことはその本人がそう望むかどうかなのだとわかる。

記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

 
河島英昭氏が亡くなったのだな。先日、ウンガレッティの訳詩集について書いたばかりである。いまからクァジーモドを読む。