こともなし

晴。
朝起きたら老母が熱を出していた。一昨日の旅行の疲れが出たのかも知れない。
ヒヨドリか何かわからないが、たくさんの鳥がチクチクキーキー、うるさいくらい。スズメではないと思う。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十三番 K.488 で、ピアノは児玉桃、指揮は小澤征爾、水戸室内管弦楽団NML)。第二楽章のピアノがまるでムード音楽か映画音楽かというような演奏で、即興の装飾音もそのように多用していた。ECM のリバーブをかけた音もさらにそれを強調することになっている。終楽章の小澤征爾がさすがで、ピアノもそれに引っ張られたのか、よかったと思う。2006年のライブ録音。

 
洗濯など、一時間ほど家事。
 
細川俊夫の「月夜の蓮」で、ピアノは児玉桃、指揮は小澤征爾、水戸室内管弦楽団NML)。細川俊夫はオリジナリティがあり、才能豊かな世界的作曲家である。わたしは細川の音楽を聴くと、いつもオリエンタリズムを感じてしまうが、どういうものであろうか。この作品もいかにもムード的に東洋的、日本的に聴こえるのであり、題名からもそれが意識されている。わたしなどは、月夜における銀閣寺、みたいな空想をしてしまった。よく比較される武満さんとは、よかれ悪しかれまったくちがう音楽のようにわたしには思える。
 なお、曲の最後で(上で聴いた)モーツァルトの K.488 の第二楽章主題の断片が引用されている。
 ライナーノーツの細川自身による英語の文章によると、この曲は K.488 と同じイ長調で書かれているそうである。そこにあとは、世阿弥の能、仏教の蓮(ロータス)など、いかにも東洋的エキゾチズムをくすぐる単語が並んでいる。
 
スーパー。
 
 
昼食はいつもの半田めんを食った。今日は老父との二人分、全部ひとりでやることになった。
 
シベリウス交響曲第三番 op.52 で、指揮は村川千秋、山形交響楽団NML)。NML の「今週の一枚」で絶賛されていたので、半信半疑で聴いてみたら、本当にすばらしかったのでびっくりした。山形交響楽団は1972年に設立され、村川千秋は同交響楽団創立者で、現在90歳という。それ以上のことは、わたしは何も知らない。世界の超一流オーケストラと比べれば劣るかも知れないが、みずみずしいこの演奏にそんなことは無意味である。最後は、こちらも感極まってしまった。Spotify で大反響、世界中でたくさん再生されているそうなので、聴ける人は是非どうぞ。しかし、村山と山形交響楽団のコンビの CD は、これが初めてだなんて。プロコフィエフ弦楽四重奏曲第二番 op.92 で、演奏はチリンギリアン弦楽四重奏団NMLCD)。■ベリオの「小組曲」で、ピアノはマッテオ・ベヴィラクア(NML)。 
 
夕方、寝転がってバッハのトッカータ集(ピアノは近藤伸子、NML)をぼんやりと聴く。
夕飯はゴーヤチャンプルーとサラスパサラダを作って食う。まあうまかった、と自画自賛
 
 
BBC の一連の動画で血まみれで泣いている子供や、モザイクがかけられた病院の様子や、霊安所に置ききれず外に並べてある多数の遺体や、激しい空爆で廃墟になった目抜き通りなどを観ていると、ハマスにしろイスラエルにせよ、政治的指導者たちは、一般人の悲惨をまったく気にしていないのを感じる。それが政治というものなのだろうが、わたしはそれを飲み込もうとしてもひどくむずかしい。ナイーブ極まりないと知ってはいるが、なぜ仲良くできないんだろうなどと、つい思ってしまう。
 
早寝。