ブランショ『終わりなき対話 I複数性の言葉(エクリチュールの言葉)』 / 「きみの鳥はうたえる」(2018)を観る

晴。
 
スーパー。プリペイドカードのチャージ。五倍ポイントの日で駐車場は空きがないほどに、客が多い。いつもよりたくさん買ったので、二つの買い物バッグがもういっぱい。
あちらこちらでツバメが飛び回っている。カッコいいな。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 op.101 で、ピアノはアリス・アレクサンダー・ブレッテンベルク(NML)。ソロデビュー盤。まったくもって失礼な言い草だが、このピアニストは「才能を欠いた努力家」だろう。意図して正統的な教養を身につけてきたであろうことはほとんど明らかである。よくここまでやってきたな。「才能を欠いた努力家」が成功することはまずないが、(レヴェルが低いにせよ)同じタイプの人間として、それが報われることを心から祈っている。いまでは、こういう人が出てくることはほとんどなくなったが、このピアニストは稀な例外のひとつ、ということになろう。現在29歳という。

シューマンの「ベートーヴェンの主題による変奏曲」 WoO31 で、ピアノはアリス・アレクサンダー・ブレッテンベルク(NML)。知らない曲。ベートーヴェンによる(らしい)主題もよくわからんなと聴いていたら、なるほど、交響曲第七番のアレグレットの主題が織り込んであるわけね。だから、第七番第二楽章のリスト編曲版(NML)が収録されているのか。なお、歌曲「希望に」 op.94 をピアニスト自身が編曲したもの(NML)は、頑張ってはいるがあまりおもしろくなかった。これでアルバム全体を聴き終えた。
 
 
珈琲工房ひぐち北一色店。『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」第十一章「風景とコスモス」読了。また喫茶店で密かに泣く。別にそれほど感傷的になっているわけではないと思う、ただ、滅びた文明のあまりの美しさと悲しさに、自然とそうなるのだ。しかし、本書からは考えるべきことが大量にある。本書は、人類学的なまなざしをもって読まれるべきだ。我々にとっても、過去(江戸末期〜明治初期)の日本はもはやそのままでは理解不能な、異文明といって差し支えない。ただ、砕け散った破片はまだ我々も手にしており、偏見なくそれを見れば、理解に有利だろう。現代日本人は、これが過去の「同じ国」と思うから辛辣にバカにしたくもなるのであるが(それが日本のインテリのひとつの反応パターンであると予想される)、敢て「同じ国」のこととは思わずに、既に失われた美しく貴重な異文明として理解するのがよいと思う。
 

 
残ったビワの実をまたコンポートにする。指に灰汁(アク)の匂いが…。
 
図書館から借りてきた、モーリス・ブランショ『終わりなき対話 I複数性の言葉(エクリチュールの言葉)』読了。哲学者、あるいは「ロゴスの人」ってのは、他者と「和解」していくのに言葉(あるいは記号)しかないと思っているようだな。同じ場を共有していくこと。中村哲さんは、同じ人間というそれだけでなぜか必ずわかりあえるところがあるといった。言葉だけでわかりあおうとしなければ、もちろん中村哲さんが正しい。 
 
夜。
U-NEXT で『きみの鳥はうたえる』(2018)を観る。監督は三宅唱。すばらしかった。原作は佐藤泰志の同名小説だが、こんな話だったっけか? もう忘れている。わたしの能力ではあらすじすらうまく紹介できないのだが、僕(柄本佑)と佐知子(石橋静河)と静雄(染谷将太)三人の、微妙な青春物語ってところか。ほんと微妙で、三人の関係性をうまく言葉にできない。全体的に青っぽい映像(いうなれば、徹夜で遊んだあとの、夏の夜明け前のような)が多くて、それもまた美しいというか、抒情的だった。なんか、わたしのようないいおっさんのいうことではないが、とっても大人っぽかった。あとでたまたまアマゾンのレヴューを見てしまったのだが、皆んなめちゃくちゃなことを書いているのでびっくりした。まあわたしは映画というものをよく知らないわけだが、こんなレヴューばかりじゃ作品がかわいそうでしょ。確かに、わたしもその魅力を語りにくいというか、語る能力がないのではあるが。
ちなみに Filmarks のレヴューは納得できるものが多かったです。