こともなし

晴。

ごろごろ。

37℃の夏。
郵便局。
図書館。昨日まちがえて県図書館へ返せなかった本を、ここで返す。何も借りず。
イオンでパジャマを買う。イオンモールはコロナ禍前と変わらぬ人出。ものすごく広くて空調完璧だから、ここで散歩しようかと思ってしまうくらい。ああ、早く散歩したい。


ネットをぼーっと見ていたら、渡辺一夫先生の「寛容(トレランス)は自らを守るため不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか」というエッセイを、突然思い出したので、岩波文庫版の『狂気について』所収の本文を、ちょっと読み返してみた。有名なエッセイなので、知っている人は知っているだろう(当たり前か)。別にここで内容を紹介するつもりはない。中身は基本的に題名どおりで、渡辺先生の結論は、アントレランたるべきではないというものである。それはよい。さて、いまの時代、例えばマイノリティ、弱者への<不寛容>に対し、まさに<不寛容>たるべきというのが、現在正しいとされている態度である。渡辺先生の結論とは、正反対なのだ。実際いまの感覚でこのエッセイを読んでいると、渡辺先生の論述は煮えきらないように、このわたしでも感じてしまうところがある。例えば、障害者を笑いものにする奴は、きびしい社会的制裁を受けて当然だというのが、現在当たり前な理性的態度とされているのだ。この180度の転換は、わたしには極めて興味深い。しかし、必ずしも意外ではないともいえる。論理そのものが、本質的にアントレランだからだ。曖昧な態度を、論理は許さない。

正しさには論理が必要である。マイノリティは差別されてはならない。そのことに疑いはない。そして、我々は現在、一挙手一投足まで、正しくあることを要請されている。正しくあらない者は、すべからく制裁されねばならない。それがいまの時代だ。


バニラソルト」をヘビーローテーションして、うるっとしているわたし。こいつ感傷的なアホや(笑)。アニソンって、単独の曲とはまたちがう力があるな。アニメ全篇が凝縮されている。「オレンジ」も好きだけれど、「バニラソルト」の方がもっと好きだ。

日没前、散歩。曇っているので何とか歩けた。



 
よく考えてみたら、トレランスそのものが現代では要請されていない気がするな。


早寝。