こともなし

日曜日。晴。

午前中、甥っ子の勉強を見る。入試の過去問。
昼食は皆んなでおばあちゃんのカレー。
午後も夕方までお勉強。問題がむずかしくてこりゃたいへん。

紙屋高雪氏のブログ論説を読んでとりとめもなく空想していたのだが、いわゆるプラネタリー・バウンダリー、つまり「(地球という)惑星の限界」を超えないようにするのに、SDGs ではダメならどうしたらよいのか。これは基本的に専門家が考えるべきことであるが、無知なわたしという素人が空想するに、資本主義を捨てるわけにいかなければ、地球全体の人口を極端に減らすしかないのではないか。でも、そうなれば経済構造や文明の形態はまったく変わってしまうし、「文化」というものも激変するだろう。そして資本主義を守ったつもりでも、そうなって実際にそれ自体が維持できるかもわからない。結局、いずれにせよ、現在の形態の資本主義を保守していくわけにはいかないのではないか。
 けれども、短期に地球全体の人口を極端に減らすことは、ふつうには不可能であると考えられる。つまり、このままだとプラネタリー・バウンダリーというものが短期的に超えられてしまうというのが科学的に正しいならば、現在の高度資本主義は近い将来に極端に大きく変質されねばならない。そしてそれが可能なのか、わたしにはまったくわからない。不可能ならば、すなわちプラネタリー・バウンダリーが超えられてしまう(=破滅)ということになる。あくまでも、「このままだとプラネタリー・バウンダリーというものが短期的に超えられてしまうというのが科学的に正しいならば」であるが。事態がゆっくりしか進まないならば、SDGsでよいということになる。
 繰り返すと、大幅に地球人口を減らすのでなければ、資本主義は発展が必須であるがゆえに選択肢は SDGs しかなく、SDGs=ゆっくり進むのが無理なら、後戻りするか転換する(どちらも資本主義ではたぶん不可能である)しかない。いまは SDGs が、そしてSDGs で可能かを見定めるべき時期ということであろう。

しかし、一般の民衆がこんな面倒なことを考えなければいけない世の中は、何かおかしいよ。でも、遠くない将来に破滅するかも知れないっていうのだから、仕方ないじゃないか。ちなみに、こういうことはわたしの学生の頃(四半世紀あまり前)からおおよそ予想されていたのだが、その時代我々はバブル景気に浮かれていたのだよね。誰も聞く耳もたなかった。ひどい話である。


榎本渉を読む。
早寝。