こともなし

晴。

時代遅れのおっさんにはいまのよくできたアニメは強烈で、一晩寝てもまだ少しフィクション感の残存を感じる。いまの人たちは極ふつうにこんなもの(?)を消化しているのだろうが、ちょっと驚かされるところがほんとにもう時代遅れだ。今回いろいろ考えてからアニメを見て(「ソードアート・オンライン」を選んだのはテキトー)、得るところが非常に大きかったのでもう少しいろいろ見てみようと思っているが、いまさらだと「解体」するのにまたすごく疲れるだろうな。網羅的とか(極度に)戦略的に見ようとかはとても思えない。ゆっくりやっていこうと思う。それから、これでもわたしは既にアニメ世代なので、アニメへの愛みたいなものはちゃんとありますよ。

いま「フィクション感」とつい書いたけれど、それを解体し切ったところで何が(想像界的に)残るか、そういうことを厳密に問うことは意外とされていないと思う。大塚英志や東さんが初期にやって一般化したような、構造的、象徴界的な仕方で(むずかしく)語られている例は、極一般的に、それこそブログレベルでも(若い人たち、そうでない人たちによって)いっぱいあるけれど。まあ、その想像界レヴェルで厳密に探求することにどれだけ意味があるかはわからない。やることも非常にむずかしいし。

でも、中沢さんがレヴィ=ストロースから受け継いで研究している神話素の構造と展開みたいなこと以上には出ないかも知れなくて、本質的に新しいことがあるかはわからないな。正直言って、自分には力が足りないことは痛感するし。まったく凡人である。
アニメ等フィクションにおいて、神話の研究は非常に、本質的に重要だ。アニメやゲームが大変なパワーをもつのは、人間が古くから蓄えてきた神話のパワーを生に、むき出しで使っているからだ。わたしなどにはその強度は恐ろしいほどである。そのことも、まだ深く探求され尽くされていない。もちろん、それは高度資本主義というか、いまの商業と強く結び付いているのであるし。
想像力の力動性。フロイトがリビドーと呼んだものと関係があるかも知れない。

ま、これはとりあえずのメモにすぎない。

大塚や東さんがやった「キャラ」とか「データベース消費」の研究は基本的だけれど、あれはもう若い人たちが完全に受け継いで発展され、たぶんそのうちアカデミズム化されてもおかしくないくらいだよね。あれは僕がやっても意味がないし、その力もない。また、アニメ愛を滔々と語ったりするのも、少なくともいまはやりたくないな。

しかし、ラカンの「悦」「悦楽」(だと思うけれど)っていうのは、肯定し切っていいのかね。そのへんはわたしのいまの射程を完全に超えているな。それから、死の問題。


それにしても、日本の若い人たちは深く無意識的にいろいろやっているのだけれど、そしてその仕事は確かにすごいのだけど、モダンの延長だけではどうやらやっていけないらしいということ、そしてそれがどんなに恐るべきことかというのはまだはっきりとは自覚していないのじゃないかな。何かそこらへんのところが少しできればいい気がするけれど、既にもう随分歳をとってしまったし、能力も乏しいのは痛感するな。へんな話、合理主義の制覇と資本主義というものが止められない中、人類に自由というものは残るのかしら。まあ、いくらなんでもちょっと主語が大きすぎるか。

厄介な時代になってしまったものだな。結局、特に「意識が高」くもなく、だらしがないくらいで、ささやかな庶民の暮らしが残していけるかだな。それがゆったりしたものであればもっといい。最低限、それだと思う。

午前中、かかりつけ医。スーパー。


「愛」とか「勇気」とか「友情」、そしてそれがシステムを超えるってのは、構造化、制度化されかかっているかも知れないな。わたしにはまだちょっとわからないけれど。

しかし、アメリカ等で人気がある(らしい)、戦場で人をバンバン撃ち殺していくというような、粗雑な想像力のゲームとかはどう考えたらいいのかな。わたしも学生のとき、「バーチャファイター」みたいな格闘ゲームにゲーセンでハマった(おっさん笑)が、ああいう攻撃性とスキルを満たしていくゲームってのも、そこからそんなに離れていないのかも知れないけれど。アクションゲーム全般に通じることか。でも、これはわたしには探求はムリだ。もう、アクションゲームは、ヘタすぎるし面倒でやる気が起きない。

やはり日本人が「幼稚さ」をとりあえず容認されているところが、圧倒的にちがうのだな。浅田さんは、「日本の資本主義は子供の資本主義だ」といった。もちろん、否定的な意味でである。


ひさしぶりの冷麦、めっちゃうまかった。わざわざ高い乾麺を買ったしな。


どんなに深刻な事実でも、物語の形に出来ればすべて娯楽化可能であることは特にいうまでもなく、それは基本的な事実だが、そこにはもう少し考えるべきことはないか。つまり、幼稚との関係。
物語については既に大塚がいろいろ探求しているな。


カルコス。暑すぎるせいか、さすがに人が少ない。帰りに酒屋へ寄ってビールを一ケース買う。
関川夏央「人間晩年図巻」更新される。これこそが現代における文章という感じがする。