石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』再読

曇。
よく寝る。どうしてこんなに眠るのかな。いずれにせよ、僕は眠るのは好きである。いつも寝る前は精神がボロ布になったように感じているので、寝るのは charge という感じ。一日中起きたときの気分でいられれば理想だが、なかなかそれどころではない。でも、仏教では睡眠はよくない部類に入るのだけれども。寝ているヒマがあったら修行せよということであるか。
今日はあまり何もしたくない気分。

昼から仕事で一日おしまい。
図書館から借りてきた、石原吉郎サンチョ・パンサの帰郷』再読。この本はつい最近読んだばかりではあるが、岩波現代文庫の『石原吉郎セレクション』を読んで本書の中身を殆ど覚えていないことに気づいたので、改めて借りてきた。じつにいいかげんな読書であるが、再読してみたらそれほど覚えていないわけでもなかった。本書付録の粕谷栄市氏のインタビューに、著者の経歴を知って詩を読むのは、詩が自立しなくていけないというようなことが書いてあって、まことにそのとおりであるけれども、まあ自分のような文学音痴のことは許してもらいたいと思う。自分は著者のエッセイを読んで、納得できる詩がだいぶ増えたのが事実である。僕は詩のことはたぶん殆どわかっていない気がするけれど、日本の「現代詩」は相当に豊穣であるように勝手に思っている。やはりそれは、戦争のためだろう。開高健が言っていたとおり、まったく逆説的であるが、戦争があると優れた文学が生まれることは否定できない。本書にも優れた詩がたくさん収められている。
 それにしても、幼稚な疑問で申し訳ないが、詩は詩だけで独立して読めるのだろうか。僕はツェランの全訳詩集に一応目だけは通したが、あとで優れた読解書を読んで、こんな(自分の)読み方なら全訳詩集を読まない方がマシだったような気になった。本書の読み方はまちがっているのかも知れないけれど、自分にとっては仕方がないように思っている。

明日から小観光してきます。