多田茂治『石原吉郎「昭和」の旅』

日曜日。曇。

ごろごろ。
昼寝。そんなに寝ていないのに、目覚めたとき朝かと思った。深く眠っていたようだ。


『アースダイバー 神社編』の続き。第五章、諏訪大社まで読む。興奮しながら読んだわけだが、むずかしすぎ。家族旅行で一昨年諏訪を訪れたことを思い出しながら読んでいた。そのときにちょっとお勉強したことがだいぶ役に立ったのだけれども、それでもむずかしい。縄文系モレアと、弥生系アヅミ、イズモの諸族。ここまで深く詳細に過去に測鉛を下ろしていくことが可能なのか。さらに、歴史的な「王の発生」の典型まで推測することができるとは! この稀有な土地は明治維新後、国家神道に睨まれて、縄文にまで遡る守矢氏も現在ではついに途絶えた。いまでは、ただ御柱祭が残るのみという。

アースダイバー 神社編

アースダイバー 神社編

  • 作者:中沢 新一
  • 発売日: 2021/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

日没前、散歩。












図書館から借りてきた、多田茂治石原吉郎「昭和」の旅』読了。予想以上に感銘を受けた。真摯な本だった。しかし、わたしのようなバブル世代の人間が、石原吉郎を理解することが可能なのだろうか。いまなら石原はシベリア抑留体験による PTSD の発症者ということになるのかも知れないが、そんな言葉で尽くせないのは明らかである。かといって、石原はシベリアで人間精神の「極北」を見たというような言い方も、自分で破廉恥に聞こえないでもない。石原はシベリアでこそ生きたのであり、戦後の日本に生きながら、依然としてシベリアに生きていたという、そんなあたりであろうか。シベリアから時間的に遠ざかれば遠ざかるほど、石原が「病んで」いったのも、それゆえかも知れないが、これ以上いいかげんなことを書くのは止めよう。所詮わたしにはわからないのだ。
 わたしは詩はわからないが、石原吉郎の詩は好ましく思える。それをいったら、わたしはそもそもいわゆる「戦後詩」の豊饒さが好きなのだが。暗くて、孤独で、ある意味ではダサい。かかる戦後詩をバカにしたあるオサレな有名詩人・小説家がいるが、わたしはそのことだけで彼がいっぺんに嫌いになってしまったくらいである。わたしは戦後詩の何に惹かれるのだろうか。自分ではよくわからないという他ない。ま、自分のクソマジメたるに関係ありそうだよね。

石原吉郎「昭和」の旅

石原吉郎「昭和」の旅