関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』/佐藤正午『象を洗う』

曇。昼から雨。
音楽を聴く。■バッハ:管弦楽組曲第一番 BWV1066(ミュンヒンガー、参照)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第七番 op.59-1 (タカーチQ、参照)。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第一番 K.37 (ペライア参照)。■■ブラームス:ピアノ協奏曲第二番 op.83 (スヴャトスラフ・リヒテル、エーリヒ・ラインスドルフ)。1960年の録音。リヒテルもラインスドルフもあまりにも素晴らしい。リヒテルはいいに決っているからあまり聴かないように心がけているが、聴いてみると大袈裟どころではなく魂が打ち震える。歴史上最高のピアニスト。リヒテルによるこの曲の録音はライブ音源まで含まれば相当な数あるけれども、たぶんこれはその中でも最高のひとつであろう。録音もリマスター技術が進んで、何の不満もない。それにしてもブラームス、これほど自分にしっくりくる作曲家も少ない。ブラームスは天才ではないそうだが、田舎者の必修科目だと思う。

Sviatoslav Richter Complete Collection

Sviatoslav Richter Complete Collection

■フランク:ミサ・ソレニムス op.12、前奏曲・フーガと変奏 op.18(ピエール・バルトロメー、ガストン・リテーズ)。ミサ・ソレムニスは初めて聴く。後年の曲に比べれば多少落ちるかも知れないけれど、なかなかの佳曲だと思う。優しいところがあって、捨てがたい。作品一八はオルガン好きな人は認めてくれるだろう。名曲と云ってもいいくらい。
Franck;Messe Solonnelle

Franck;Messe Solonnelle

■クーラウ:ソナチネ ハ長調 op.59-3(ブリガンディ、参照)。

関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』読了。正しくマンガ批評と云うべきであろう。ちなみにここには、「キャラ」とか「萌え」、「二次創作」などという語は出てこない。東浩紀スクールが流行にした、オタク的なマンガ批評から見たら、まったく古くさいものに見えるだろう。関川のマンガ批評は、文芸批評とまったく同じ文体でなされている。本書元本の出版は1990年であるが、いまやこのようなマンガ批評はどこにもない(か、自分が知らない)。さて、自分がどう読んだかであるが、そもそも自分は学生の頃までは膨大な数のマンガを読んでいた。それは恐らく読んだ活字本の総数よりも多い。それも、まったく何も考えず、無意識的に。だから、関川流にせよオタク流にせよ、マンガを批評するということ自体がダサく感じられる。その上で言うなら、本書はおもしろかったし、批評として優れていると思った。もちろんこれは、関川の文学的実践のひとつである。僕はその関川の文学的「屈折」をとてもおもしろく感ずるし、またそれに親近感も湧く。この人は実力者であり、しかもストレートではなく、どこかひねくれてかつしたたかだ。
 ところで僕は、関川が企画した「坊っちゃんの時代」が読めないのである。これは名著(と云うのはマンガには変な感じだが)とされるが、何だかストーリーの中に入っていけないのだ。文学とマンガの幸福な結婚なのだろうが。
知識的大衆諸君、これもマンガだ (文春文庫)

知識的大衆諸君、これもマンガだ (文春文庫)

それから、意図的であるかも知れないが、本書の題がダサい。時代を感じる。

図書館から借りてきた、佐藤正午『象を洗う』読了。ちょっぴりキザなこと書きやがるなと思いつつ読んでいるうち爆笑に当たり、それで満足。文章から感じる年齢というものがあるが、佐藤さんはかなり若い感じがする。二〇代、せいぜい三〇代という感じ。しかし本書出版時に著者はいまの僕の歳より少し若いだけで、そしていまでは六〇を過ぎているとは! いや、まだ御存命ですよね。とただちに Wikipedia で調べ、ちょっと安堵する。ついでにそこに書いてあることを読んで、最近小説もエッセイ集も出してないようだ、とかどうでもいいことを思う。そんなに好きなタイプの文章ではないけれど、もう一冊エッセイ集が図書館にあったので、借りてくるつもり。
象を洗う

象を洗う