関川夏央『寝台急行「昭和」行』

晴。
音楽を聴く。■C.P.E.バッハチェンバロ協奏曲ハ短調 H.474(ボブ・ファン・アスペレン)。いまの感傷的な気分にぴったりすぎてエモーショナル。C.P.E.バッハは時に大バッハよりもツボに来るなあ。

6 Concerti Per Il Cembalo Concerto / Bob Van Asperen / Melante '81

6 Concerti Per Il Cembalo Concerto / Bob Van Asperen / Melante '81

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十五番 op.132(ゲヴァントハウスQ、参照)。まあいいのだが、自分の大切にしている曲をこんな風に演奏されて、悲しかった。ベートーヴェンはこんなきれいごとではないと思うのですが。第三楽章や終楽章にまったく心を動かされないとか、あり得るだろうか。でもまあ、アマゾンのレヴューなどは絶賛につぐ絶賛であるから、自分がおかしいのはわかっているのだけれど。本当に凹む。自己否定感でいっぱい。

抜き菜(ってワカルカナー)の味噌汁がうまい。秋である。菜っ葉ってじつは味が出るのですよって、知ってた?
元気のないときは仕事が却って気が紛れていい。つまらないことを忘れて元気が出た。

図書館から借りてきた、関川夏央『寝台急行「昭和」行』読了。関川夏央に「鉄道本」があったとは。関川は何だかいつも「冴えない中年のおっさん」っぽいイメージを自ら構築している。そしてそれを素直に真に受ける読者は、はっきり言ってバカであり、関川のよい読者ではあり得ないと勝手に思っている。読めばすぐわかることであるが、関川はまずは圧倒的な実力者だ。自らの過去の教養主義を恥じ、読書も好きかどうかはわからないとは云うが、その実力は隠れようもない。本書の主題は「大のおとながこんなことを」という鉄道趣味であるが、文学や映画、歴史の深い知識が軽く迸り出て、まことによろしい読み物になっている。この覚めたようなそうでもないような鉄道へのスタンスは、かの宮脇俊三と似ているといえよう。本書でも宮脇俊三に触れた短文がいくつかあるが、短い文章で宮脇俊三の(「鉄ちゃん」は知らないであろう)一面をさっと描いて、すぐれた宮脇俊三論になっているところがさすがだ。僕も関川と同じく、宮脇俊三は初期のものがいいと思う。『最長片道切符の旅』など、学生の時に枕頭の書としてどれくらい読んだことか。何か永遠に触れている書物のように思われたものだ。
 本書では鉄道が「昭和」とゆるく関係づけられて論じられるところがいくらかあるが、そういうのはどうなのか、自分にはちょっとわからない。自分も鉄道は好きな方だが、ノスタルジアなのだろうか。まあそうでもあろうけれど、自分には鉄道はどこか無意識への扉のような感じがする。このところ車で観光することが多くなったけれど、また鉄道に乗りたいものだと思う。晩秋など、鉄道に乗るのに最適な季節のような気がする。
寝台急行「昭和」行

寝台急行「昭和」行

何だかちょっと気に入らない文章になったな。まだ精神の「身体感覚」がうまく操れない感じ。

たぶん若いひとたちのすごくセンスのよい Tumblr とかあって、これはハイセンスと思って何箇月か見ていると、決って飽きてしまうのだよなあ。こういう人たちって必ず reblog しかしないのだよねえ。そして、申し訳ないが、やっぱり底が浅いのだと思う。もっと無意識を涵養して欲しい。って余計なお世話ですか。