小川洋子『刺繍する少女』

曇。ちょっと寒い。
十時間以上寝たのだが、まだすっきりしない。すごくたくさん夢を見たのだが、よく覚えていない。
早朝出勤。出勤時に何か渋滞しているなあと思ったら、自動車どうしの事故だった。年末なのに。
今週のびっくり。蜂飼耳さんて、もしかして女性…? 物静かな、メガネをかけた若い男性みたいなイメージだった…。新聞に写真が載っていたのだが、イメージから外れてはいない。というか、これ以上云うとセクハラおやじになりそうなのでやめる。日本語の書き言葉はかなり男女を出せると思うのだが、それが嫌な女性(主に)もいるでしょうね。性別で読み方を変えるのかと云われそうだが、まあ僕も男性ですから。性別に限らず、何の先入観もなしに読むというのは無理ですね。音楽を聴くのでも、有名演奏家の演奏とそうでないのとで、まったく同じように聴くのはむずかしい。まあ、これはかなりそうできるようになってきたとは思うが、それでも無意識に(?)気にしていると思う。
 そう云えば、宇野功芳氏は演奏家の名前を知らなくても冒頭の五分(だったっけ)を聴けば演奏の良し悪しはわかるから、演奏家の名前を書くなと「レコード芸術」誌に物申していたが、まあ立派といえばそうなのだけれど、これはこれでつまらない聴き方のような気がする。結局、自分にも覚えがあるが、自分で方程式を作ってそれで自動的に判断しているだけのことである。まあそういう風にも聴くけれど、いちばん可能性のあるのは、どうもよくわからないとか、いいと思えないが気になるという演奏の時なのである(特に後者)。宇野氏には、氏の書くものを読んでいるとわかるが、わからない演奏というものはない。さすがと云うべきなのか。

小川洋子『刺繍する少女』読了。短篇集。これまで、小川洋子の小説には感嘆し続けてきた。「高い評価を与えている」なんて云ってもいい。本書はたぶん著者の中では初期の小説集なのだと思うが、しかし、小川洋子らしい小説にはいまひとつ乗り切れなかった。どうも、どれも同じではないかと云う気がしてしまったのである。尤も、これは「独自の世界がある」ということでもあり、著者には理不尽な感想と思えるかも知れない。が、とは書いたが、全体的に幻想小説としてたぶんレヴェルは高いだろうし、「トランジット」という短篇には思わず目頭を熱くさせられたくらいである。これは、あまり小川洋子らしくないタイプの小説、つまりリアリズムの方にかなり振れているもので、もしかしたら計算ずくで書かれ、こちらはそれに手もなく嵌ったのかも知れない。僕は、「いい話」に弱いのだな。まあそんなだが、これからも小川洋子は読むと思う。何か、こちらの今の状態がよくないのかも知れない。

刺繍する少女 (角川文庫)

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