『山頭火随筆集』/牛山隆信『いま行っておきたい 秘境駅』/小林敏明『柄谷行人論』

日曜日。晴。
だらだらと過ごす。あんまりいい顔をしていない。
図書館から借りてきた、講談社文芸文庫版『山頭火随筆集』読了。今の自分のような恵まれた環境で、山頭火を読むということにどういう意味があるかとも思われるが、それはともかく感銘を受けた。山頭火は行乞し、放浪するわけであるが、たぶん「悟り」とかは関係がないと思う。そこが本物なのだろう。上手く云えないが、悟ってはいないが悟りの中に居るというか。人間など生きて死ぬだけというに近い。現在の僕のような恵まれた環境からは、限りなく遠いところにある。さて、今の若い人たちから、インターネットの煩悩の中に居つつ、山頭火であるような人物が出てこないであろうか。そこまでいけば、インターネットも何者かになれるという気がする。

山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)

山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)

図書館から借りてきた、牛山隆信『いま行っておきたい 秘境駅』読了。著者は「秘境駅」の名付け親である。本書は「秘境駅」への案内であり、写真集であり、ルポルタージュであると云えようか。文章はセンチメンタルであり、お説教的なところもあって残念な気もするが、それにしても「秘境駅」の美しさよ。それは敗残の姿であり、「鑑賞」するには現実は残酷すぎるということも云えようが、また容赦のない美も確かに存在していると思われる。ロマン派的な「廃墟の美学」というものを、バカバカしいと思う方も居られよう。しかしそれは、生活臭などよりよほどマシな気もする。(そもそも、「秘境駅」の美は廃墟の美とは関係がないかも知れない。それは、山河の如き美と、あと愛らしさとに関係しているのかも。)
 取り挙げられた駅は、北海道、四国、九州のそれが圧倒的に多い。確かにそれは、「貧しさ」に関係がある。けれども、例えばここに岐阜県の駅がまったくないのは、岐阜のつまらなさとどこか関係があるような気もする。
いま行っておきたい秘境駅

いま行っておきたい秘境駅

小林敏明『柄谷行人論』読了。なかなかおもしろく、一気に読了。尤も、自分の能力ではどれほど理解できたか疑問だが。ただ、本書を読んで柄谷行人の著作を読み直そうと云う気にはならなかった。これが本書に対する、自分の無意識の評価なのかなと思う。
柄谷行人論: 〈他者〉のゆくえ (筑摩選書 111)

柄谷行人論: 〈他者〉のゆくえ (筑摩選書 111)


Lubuntu14.04 がフリーズしてどうしようもなくなったので、ぐぐって対策してみた。マウスだけは動く。色々やってみたが、最終的にはリカバリーモードで立ち上げ、fsck を選択で上手くいった。ここを参考にした。(L)Ubuntu はそう簡単に壊れないらしいので、直ぐに再インストールなどせず(じつはやろうとした)、ぐぐって対応してみるといいらしい。