白洲正子『ひたごころ』

曇。
音楽を聴く。■バッハ:ヴァイオリン・ソナタ ト短調BWV1020(ラインハルト・ゲーベル、ムジカ・アンティクヮ・ケルン、参照)。■バッハ:カンタータ第81番「イエスは眠りたもう、我何を望むべき」(カール・リヒター参照)。■ドビュッシー夜想曲〜雲、祭(ラヴェル編曲)(セルジオ・ティエンポ、カリン・レヒナー、参照)。ラヴェルによる二台のピアノへの編曲で、やはりさすがの出来栄え。何だかラヴェルっぽいけれど。演奏も生き生きしている。■ラヴェル:夜のガスパール(スラットキン、参照)。マリユス・コンスタンによるオーケストラ編曲版。演奏のせいかはわからないが、薄味で聴くのが苦痛だった。■マリピエロ:ピアノ協奏曲第五番(バルトリ、カルッリ、参照)。作風が変った? シリアスというか。得るところが多かった。

図書館から借りてきた、白洲正子『ひたごころ』読了。白洲正子さんは以前からよく読んできて、いつも厳粛な気分に近いものを覚えるが、本書もそうだった。面倒なことは書かないが、我々がいかに古来よりの日本から離れてしまったかを痛感する。読書でも、言葉の意味ばかり大事にするようになっていて、「形」というものがわからなくなっている。これは僕のことですよ、為念。たぶん僕が能を見ても、何もわからないのではないか。やはり、これはいいこととは思えない。それから、本書にあったのだが、明恵上人は「人の悪いところを見るというのは、わが身の徳なき人なり」なんてことを云われているそうだ。まったく耳が痛い。何だか他人のアラばかり見えて仕方がないのは、まったく自分に徳がないせいだと思う。これも、いいこととは思えないのだが、しかしねえ…

ひたごころ

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