我楽多書房閉店/島田雅彦『徒然草 in USA』

晴。寒い。
音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十六番K.428(カザルスQ、参照)。
岐阜神田町の古書「我楽多書房」がついに閉店するらしい。岐阜新聞に大きく取り上げられていた(参照)。まず岐阜第一の古書店だったろう。五〇年の長きにわたって続いたということで(僕の両親も学生時代に訪れている)、三年前に御主人が亡くなり、奥さんも御高齢、元気なうちに店を閉じたいとのことだそうだ。自分も最近でこそ足が遠のいていたが、一時は確かに常連で、買うと「いつもありがとうございます」と挨拶して下さっていた。特に個人的に会話をしたりということはなかったが、ちょっとしたやり取りで、(当り前だが)本のことをよく御存知なのはすぐわかった。硬派な本も多く、値段も良心的なものだったと思う。自分があそこで買ってよく覚えているのは、田村隆一訳の『我が秘密の生涯』ロマン文庫全三冊とか、まとめて買ったシオランなどだろうか。岩波文庫もよく買った。本当にありがとうございました。
 あのあたりも、古本屋はついに「徒然舎」だけになったか。あそこは一度はいかないとなあ。

島田雅彦徒然草 in USA』読了。本書は少し古い本で、ちょうどオバマが大統領になった頃に書かれている。副題は「自滅するアメリカ 堕落する日本」であるが、幸い(?)日本の話は少なくて、ついにアメリカが終ってきたという話がメインだ。現在はそれから五年後で、当然島田雅彦の言っていることが正しかったのかどうか、後知恵で判明するというわけである。まずすぐにわかるのだが、島田雅彦は最近の経済学にまったく無知であることは紛れもない。よくある素人判断で、自信たっぷりに経済を語っているが、結局当っていようが間違っていようがどうでもいいものである。また、自分は世界を動かしている連中と知り合いで、世界はこう動かされているのだという薀蓄も少なくないが、それも自分にとってはどうでもいい。だいたいアメリカはすぐにでも世界の盟主の立場から転落するという口ぶりだが、まだまだそうではないのは今では明らかである。結局著者は、経済というものを未だに「実体経済」で判断しているが、じつは投機マネーは実体経済の規模の一桁上の金額が動いており、小バブルの連続で経済を保っていくアメリカのやり方が、どうもまったくわかっていないのではないか*1。まあ、リーマン・ショック直後のことなので、無理もないところはあるけれど。ドルは依然として基軸通貨のままである。どちらかと言えば、それからヒドイことになっていったのは、日本経済であった。
 というあたりは気になるものの、本書は読むべきところもたくさんある。普通のアメリカ人(という言い方は、アメリカ人の多様性によって本当はよくないのだけれど)がどういうものか、その感覚を教えてくれるのはありがたい。自分も含め、普通の日本人はなかなか普通のアメリカ人を知らないので。貧富の差の話も、これは知られてきているけれども、確証を深めてくれる。アメリカでは、例えば金持ちでない人間が病気になったら、もう転落は必至だ。虫歯一本治療するのに八〇万円(おおよそである)、虫垂炎になったら三〇〇万円であるから、保険がなくてはとても治療を受けられるものではないのである。このあたりは、堤未果氏もレポートしていた。
 翻って日本の話では、意外に希望的な観測が述べられていて、島田雅彦氏なのだからちょっと驚かされる。欧米における日本のプレゼンスは、政治家以外は相当に大したものであるというのも、自分には意外だった。政治家は、今の日本のもっとも苦手な分野だからな。ただし、本書以降、日本の企業と経済は急速に没落したから、経済に関しても今では明るいことは云えまい。全体としては、小説家なんだからすべてホラでもいいわけであるし、それを思えばさすがだと言ってもいいと思う。ただ、逆に言うと、島田雅彦にしてはあんまりマジメすぎるのかも知れないとは感じた。そこが、氏の密かな危機感なのだろうと云えば、深読みのし過ぎであろうか。

徒然草in USA―自滅するアメリカ堕落する日本 (新潮新書)

徒然草in USA―自滅するアメリカ堕落する日本 (新潮新書)

*1:今では日本も遅蒔きながらそうなってきた。アベノミクスの成功もそこにある。それが嫌な人も多いだろうが、高度資本主義がそうなんだから仕方がないところもあろう。しかし、自分もそんなことでいいのかとは思わないでもない。実体経済は本当に、投機の材料に過ぎないのだろうか? そうであるというのを証明したのが、最近話題のピケティなんだろうか。どうやら、経済成長は、マネーの増殖に敵わないらしい。貧富の格差は、これからさらに大きくなっていくという。