佐高信&雨宮処凛『貧困と愛国』

晴。まだ風は冷たいが、いい天気。
音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第七番op.92(カルロス・クライバー)。■■武満徹:地平線のドーリア、ソプラノとオーケストラのための「環礁」(外山雄三東京都交響楽団)。武満徹は効くなあ。奇跡的なマイナー・ポエット。

武満徹:地平線のドーリア

武満徹:地平線のドーリア

バルトーク:ピアノ協奏曲第三番(アルゲリッチ、アレクサンドル・ヴェデルニコフ参照)。バルトークがこんなに美しくていいのか? よいのである。

散髪。
昼から県営プール。
JavaScriptヒルベルト曲線を描いてみる(参照)。JavaScript の clearRect で画面が消去できないというのにハマってぐぐったら、同じことをやっている人がいた(参照)。しっかり参考にさせてもらいました。ありがとうございます!

佐高信雨宮処凛『貧困と愛国』読了。対談集。読み出したら止まらなかった。そして、色々考えさせられた。例えば自分がいま最底辺層にいないのは、高齢の両親がまだ健在だからである。今は、自分は一切の収入がなくても生きていけることになっている。しかし、最底辺層に近いことは、よくわかっている。それなのに、本書を読んで痛感したのは、自分がまだまだ事実を知らないということだ。本書を読んで心に残ったことは少なくないが、「社会の責任」というものは確実にあるということ(つまり、個人の努力だけではどうしようもないことが、世界にはたくさんあるということ)、それから、「泣くより怒れ」ということ。世間が「お前が道を外れたのはお前自身のせいだ」というのを、簡単に信用しないということ。日本人のメンタリティなのか、苦しい人ほど「自分が悪い」「自分のせいだ」と考えがちで、生きている意味が見いだせなくなり、容易に自殺してしまう人が少なくない。本書は少し前の本で、イラク戦争と同時代であるが、二年間のイラクでの民間人の死者よりも、日本の二年間の自殺者の数の方が多いという話が出てくる。まさしく、自殺大国・日本である。
 正規雇用がなく、フリーターなどでしか稼げないと、年収はせいぜい一〇〇万円程度だという。彼らは何とか年収を三〇〇万円にして結婚したいと云うのだが、普通の若者がフルタイムで働いて年収三〇〇万円が稼げないというのは、絶対におかしいと本書は云う。本書はリーマン・ショックの後で、対談がされたのは経済が冷え込んでいる時期に当っているが、一国の経済の観点から問題を見ることも一方で重要であろう。その意味で、勉強もせず誤った経済政策を盛んに唱導していた連中は、本当に犯罪的であった。人殺しも同然である。同様に、事実を知らない安易な「自己責任論」も、犯罪そのものであろう。それを云う連中は、自分たちが刃物を振り回して、殺人を犯していることに気づいていない。
 それから驚いたのは、いま本書は少し前の本だと書いたが、それ以降の日本を見ると、あまりにも予見的な話が多いことである。これは、本書を読めばすぐわかるだろう。如何に、対談者たちが現実を正確に把握していたかを物語っているのだ。ここには、鉱脈があると思う。右翼も左翼も読んだらいい。さらにこれを深めていけたらいいのだが。(AM2:21)それにしても、右翼の方から始めた雨宮処凛さんが、次第にそこから離れていく経緯は興味深かった。結局、日本国は日本国が「カス」と見倣す日本人にとことん冷たいのである。それとはちがう方向からだが、自分は最近「愛国心」の厄介さに思い当たることが多い。「愛国心」が一見自然な感情だから、話はさらに厄介なのである。世界の至るところで、「愛国心」を利用するケチな輩が権力を握っている。そして「愛国心」の下で、人々は反目しあったり殺しあったりしている。厄介でなくして何と云おう。(AM2:32)