白井聡『永続敗戦論』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:イギリス組曲第四番BWV809(ルセ、参照)。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十二番K.482(ゼルキンアバド参照)。

白井聡『永続敗戦論』読了。副題「戦後日本の核心」。図書館から母が借りてきたのを、借り受けて読んだ。第一印象。政治を熱く語りすぎる。政治を熱く語るのは、はた迷惑な人が多いし、最も他人に利用されやすい人でもあろう。実際、著者もある程度そうなるのではないか。もっとも、政治を熱く語るのを評価する人もいるであろうから、それはまあ自分はそう思うということである。と云っても、自分は無感情で政治を語るのがいいというわけではないので、ただ、鈍根な、もっさりした態度の方がいいと云うまでのことである。
 第二。著者自身の発掘した、あるいは世間には知られていないような事実に乏しい。尖閣問題も北朝鮮拉致問題も、本書に挙げられた重大な事実で特に知らなかったようなものはなかった。自分は、政治(あるいは歴史)でいちばん知りたいのは、ある種の「事実」である。例えば、最近の研究により、昭和天皇は戦況に対して積極的な関与をしていたことが疑えなくなり、その戦争責任もまた疑えなくなった、などというようなものである。もちろん自分は、それでどうということはないが、やはりこの種のクリティカルな事実は、知るべきだと思っている。自分は、尖閣問題では、日本と中国が緊張関係にあるという以上の、まだクリティカルな事実ははっきりしていないと思う。発端の日本の態度云々は無意味。
 あとは、政治が好きな人は読んだらよろしかろう。個人的には、最近の意図せざる政治的無関心を確認しただけのことであった。無関心と言っても、テレビ・ニュースを見たり新聞を読んだりしないというわけでもなく、考えないわけでもないのだが、「愛国心」というものがわからなくなっているのである。例えば、中国人や韓国人の「愛国心」は熱烈強烈なものだが、どうもこちらとしては閉口させられることが多いし、中東やアフリカなどでは、「愛国心」が却って厄介な(では済まされない)殺し合いの連鎖を生んでいるのを見ると、複雑な気持ちになる。あるいは、他人を「非国民」呼ばわりする「愛国者」……。国家というものがまず廃棄(あるいは揚棄)不可能なものである事実が、絶望経由の無関心に至りそうである。これらは本とは関係のない、蛇足でした。
 しかし、政治は(無行動も含む)行動であるが、その「行動」と云っても、色々ある筈であろう……。