高橋源一郎『失われたTOKIOを求めて』

晴。
 
新聞で「教育と愛国」という映画の存在を知り、観てみたいと思ったのだが、調べてみると当然のように岐阜県では上映予定がない。DVD化かネット配信してくれないものかなあ。いや、6/4から名古屋シネマテークという愛知県のミニシアターで上映されるらしいから、そこへでもいくか。
 わたしはサヨクであるが、現代日本にあって強く危惧されるのは、右も左も議論が非常に単純なことだ。上の映画に興味が大いにあるが、HPの識者のコメントを見ても例外ではなく、そこらは残念ながら予想どおりである。しかし、「教育と愛国」なんてテーマは、元来非常に複雑なものだ。単純な議論で済む筈がない。さて、映画はどうなっているであろうか。
 わたしは、国家の廃滅ということは可能性としては追求すべきであると思うが、また、現実的に国家は簡単にはなくならないとする立場である。さらにいえば、抽象的な「日本」という国家にも、まったく愛着がないとはいえないようだ(これは、自分の成長期に何でも日本が一番だった、バブル世代ゆえにか、国家を相対化し切れなかったと思う)。しかし、わたしの「愛国心」は、鶴見俊輔が「愛郷心」と訳した意味での patriotism に近い筈である。ネーション=ステートとしての「日本」よりも、カントリーとしての日本、あるいは郷里ということだ。そういう意味での「愛国」と、「教育」。それをどう考えるべきか。
 ひとつ思うのは、日本人には「郷里」に生活する実感があまりないということだ。メディアやネットは日本=東京であり、地方もまたリトル・トーキョー化していくべきだとされるのが現実である。地方の人間に、郷里に住んでいるという感覚が乏しい。「地方に住む=何かの罰ゲーム」、あるいは真逆に「地方=理想の地」という首都圏的感覚を、地方の人間も無意識に共有している。問題はそこらあたりにもありそうだ。
 

 
岡本隆司『「中国」の形成 現代への展望』を読み始める。
 
ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー429円。『武満徹著作集3』の「時間(とき)の園丁」を読み終え、「夢の引用」に入る。後者は映画に関する文章を集めたもの。武満さんを読むと恥じ入らずにはいられない。
 
帰りにカルコスに寄る。2022.4.17 以来なので、一箇月ぶりか。毎日本屋へ行っていた学生時代から、遠くまで来てしまったものである。岩波文庫新刊のバーリンと、古典新訳文庫のプラトンゴルギアス』の新訳を購入。新書本も何か買おうといろいろ手に取ったが、バーっと中身を覗いては棚に返す。じつに、読書の咀嚼能力がなくなったものだ。棚を眺めながら憂鬱な気分になる。つまるところ、源一郎さんの新書本新刊を購入。
 
 
高橋源一郎『失われたTOKIOを求めて』読了。じっくり読むつもりだったが、結局15分くらいで速読することになった。オビには「『極私的』東京探訪記」とある。東京都知事選の話と、宮﨑駿さんと会った話、あと、昭和天皇が戦争中、皇居の庭を「武蔵野にした」話(植物の名がたくさん引かれている)なんかがおもしろかった。渋谷の章は中沢さんの『アースダイバー』からの文章が多数引用されている。

 

 
夜。
中村哲ペシャワールにて』を読み始める。半分くらい、一気に読んだ。何とも痛快な書物である。ひさしぶりに、人間が生きているのを見た、とでもいうか。中村哲さんの運命を既に知っているので、最初はどこか感傷的な気持ちを抱いて読み始めたようなところがあるが、そんな迷いはすぐに吹っ飛んでしまった。何という好漢。人間くさいだけでなく、科学的な冷静な目ももっている。わたしは直ちにこの人が大好きになってしまった。読んでいて、じつに愉快、そして、ところどころ、感銘で目頭を熱くしたり。わたしのような文明の病に侵された青白いインテリとはまったく対照的な、こんな野太い日本人も、かつてはそれなりにいた筈である。いや、いまもどこかには、存在するかも知れないが。しかし、本書を何と紹介したらよいのだろう。中村哲さんの、自分を題材にしたノンフィクション、とでもいうか。中村さんの活躍も自分で語られるし、癩について、またパキスタンアフガニスタン国境地帯のことについて、そこに生きる人々の愛すべき姿と共に、我々を啓蒙する。そして、「国際支援」がいかにむずかしいか、簡単に偽善と失敗に陥ってしまうかの告発。結局、その土地に住む人々のことをよく知らねば、救ってやるからありがたく思えという、偽善に満ちた上から目線のエラソーな自己満足に終わってしまうだけなのだ。文明の毒を、中村さんは本能的に決してよいものと思っていない。これは、わたしにもつくづく刺さるのである。
 本書にもちらりと出てくるが、中村さんは最初、蝶のためにパキスタンを訪れたのである。かつて養老先生とまるのテレビ番組で、先生の虫友達として、中村さんが養老家を訪れている写真を見た覚えがある。彼は最初は虫のためにあそこへいったのだということを仰って、養老先生がさみしそうな表情をされていたのを思い出す。