プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』

晴。
音楽を聴く。■メンデルスゾーン弦楽四重奏曲op.12(モザイクQ)。古楽器による演奏なので、さすがにメンデルスゾーンの特徴である運動性は減殺されている。しかし、それを差し引いても、いい演奏だ。モザイク四重奏団は、「古楽器」のという限定子をつけなくとも、現在最高の弦楽四重奏団のひとつであることは疑いない。モダン楽器とはちがう演奏を堪能できる。

String Quartets Op 12 & 13

String Quartets Op 12 & 13

■バッハ:トッカータBWV910、BWV911、BWV912(ヴォルフガング・リュプザム)。ピアノによる演奏だが、これはモダン・ピアノなのだろうか。古びた響きがするのだけれども。演奏は凡庸にも聞こえかねないが、これはこれでひとつの表現だと思う。なお、BWV910は初めて聴く曲。
Toccatas 910-916

Toccatas 910-916


プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』読了。レーヴィはもちろんアウシュビッツ体験を書いてきた作家であり、本書を刊行してのちに自殺した。彼の著書は、著名な『アウシュヴィッツは終わらない』は未読だが、岩波文庫に収録された『休戦』は読んで、かなりの感銘を受けた。本書は自分にはどこかわかりにくい書物で、読みやすくもなかったが、訳者あとがきに「実際に地獄を体験した者でなければ語れないことがある。彼はその体験がすべてを風化させる年月の流れにさらされた時どうなるのか、真摯な態度で考察、分析した」とあるのには、強く納得させられた。本書は決して地に足がついていない書物ではないが、歳月の流れが記述を幾分か抽象化させているわけである。自分はなかなか難解なものを感じ、アウシュヴィッツというものが人間をどうさせたかを考えると、問題が生と死のすべての領域の土台を覆っていることを思った。それにしても、素朴な感想を云うが、人間はどんな地獄をも現出化できること、そしてその地獄を造り出した者が、そのことにあっさり慣れてしまうことが可能だという恐ろしさに、人間の業の深さを思う。人間は、状況が許せば、どんなことでもやってしまうのだ。それは、そのような状況が出来てしまってからは止めようがなく、ただひたすらかかる状況そのものを現出化させないことに力を注ぐしかない。さても、倫理というものが崩壊した場所こそ、地上における地獄だと云えよう。これは、現代においても克服されてはいないのである。人間が人間である限り、根本的な解決はあり得ない問題であろう。
溺れるものと救われるもの (朝日選書)

溺れるものと救われるもの (朝日選書)