こともなし

晴。
早朝出勤。
音楽を聴く。■ショーソンピアノ三重奏曲ト短調op.3(Yuval Trio)。派手ではないが、とてもいい曲。気に入った室内楽の曲がまた増えた。

Piano Trios

Piano Trios

モーツァルト交響曲第三十三番K.319(アバド)。■ラヴェル:夜のガスパールドビュッシー:ラモーを讃えて、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第十二番op.26(ミケランジェリLive)。ベートーヴェンの作品二十六がいい。楽譜をそのまま演奏したようなそれ。それでいて、ベートーヴェンのパトスもある。ようやく早朝出勤が終った。

id:triport さんのブログのコメント欄に幼稚なことを書いてしまったが、いつも国家や憲法についてよく勉強され、考えておられるので、こちらも何かと考えさせられる。戦争について教えを受けたのだが、最近自分でも、きわめて幼稚だが、漠然と戦争について思っていることがあった。最近の日本と中国、韓国との緊張などとは関係ない。それは、例えばシリアの内戦である。あれがさっぱりわからない。誰が誰と、何のために戦っていて、どこがどうあれらを支援しているのか。本当に、彼らは何のために戦っているのか。シリアのためだなどという回答には、自分は納得されない。無知のためかも知れないが、あれには何か異常なものを感じる。あそこでも実際にひどい目に会っているのは、民衆である。彼らは、戦争に巻き込まれた(そしてそれで傷ついたりする)ことについて、己をどう納得させているのだろう。そして、ひどい目に会っている人たちは、戦争で色々言っている奴らとは別の人たちである。口がよく動く人間は、いつの間にか安全地帯にいて、そこで好きなことを言っているのだ。これは別に、シリアだけの話ではない。シリアが「遅れている国」かどうかも、あまり関係がないと思う。どこの国でも、戦争が起きれば、結局はそうなるのだ。
 最終的に、戦争は避けねばならない。それを否定する人は少ないと思う。しかしそのやり方となると、飛んでもなく議論は紛糾するのだ。正直言ってちょっとウンザリしないでもないが、粘り強く考えなければならないことはわかっている。今の自分には、この問題について絶対のドグマはない。そのようなドグマの確立を目指すことを軽んじるわけではないが、おおよその原則をもちつつ、できるだけ誰とも対話の糸を切らないようにしたいものだと思う。自分は、どれほど正しく思える意見でも、保持すると同時に捨て去る矛盾を実践せねばならないと思っている。まあ、いい加減にですけれど。
 それにしても、途轍もない大たわけだと見做されるだろうが、自分はどうして戦争がちっともなくならないのか、不思議で仕方がないのである。人間の一生など、そこそこ平穏で生きて死んでいければ、充分ではないのか。現代の戦争は悲惨だ。損得勘定からしたって、大部分の当事者には現代の戦争は損の方が大きいのではないのか。それなのに一向戦争がなくならないのは、戦争によほどの魅力があるにちがいないのだが、自分にはそれがわからない。人間性の洞察において、失格者であろうか。