こともなし

日曜日。晴。酷暑。
カルコス。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第十番(ピリス新盤)。
早く寝る。

どうも日本人のメンタリティーが消極的になってきているような気がする。例えば家電メーカーでも、資金はあるのに、内部留保で死蔵させているだけで設備投資にまわさない。意思決定が極めて遅く、それはたぶん、失敗がこわいのだと思う。その逆で大きくなってきたサムスンは今や、日本の家電メーカーの最大手である日立の、倍の売上をもっているという。日本のメーカーの技術力がなくなったわけではない。実際に、サムスンやアップルの下請けになっていることからもわかるように、技術的なレヴェルはまだ世界一なのだ。ただ、大きなアイデアがない。あっても前面に出てこない。小さな「改良」があるばかりだ。これはもうどうしようもないことで、既に没落が加速しつつあるのを食い止めることができない。日本でいま一番議論されているのは、あぶく銭をどう稼ぐかということばかりである。そして政府頼み。まあ、自分は糾弾しているわけではない。そんな立派な人間ではない。そういうことかなあと、ただ思うだけである。
 さらに云えば、設備投資が増えないということは、景気がなかなかよくならないことの大きな原因になる。そして、アベノミクス第三の矢などと云われている政府の「成長戦略」でも、政府の誘導で産業が勃興するなどということは、まずあり得ない。官僚主導で、無駄金が使われるだけに決っている。良くて、カンフル剤の注入以上のものではなく、それはエルピーダの顛末を見ても明らかだ。
 自分が近ごろ怖ろしいと思っているのは、人材の払底である。中井久夫は、日本人はかつては無名の人が偉かったと言ったが、自分もそう思う。今や、無名の人間のレヴェルが、どうしようもなく落ちてきているのではないか。それは、我が身にも突き刺さる。