ネグリ、ハート『コモンウェルス(上)』/フェラスの無伴奏ヴァイオリン

晴。
アントニオ・ネグリマイケル・ハートの共著『コモンウェルス(上)』読了。相変わらず強引で、具体的な展望に欠けているなあ。そんなに「左翼」に拘らねばならないのかねえ。グローバル資本主義に対するマルチチュード(有象無象のことである)の可能性として、「貧」と「愛」っていうのは面白いけれど、結局どう「貧」で対抗するのかはよくわからないし(下巻にあるのかも)、「愛」と云っても、家族やカップルの愛は「腐った愛」なのだ、と言われてもなあ。まあ、下巻を読みましょう。

コモンウェルス(上) 〈帝国〉を超える革命論 (NHKブックス)

コモンウェルス(上) 〈帝国〉を超える革命論 (NHKブックス)


三日前、クリスチャン・フェラスの「シャコンヌ」の演奏を You Tube で聴いて強烈に惹きつけられたので、調べてみたら、アマゾンのマーケットプレイスで奇跡的に新品を売っていた。即座に注文して今日届いたので、夜も遅くなったが Disc1 を聴いてみた。曲はバッハの、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番、パルティータ第一番、ソナタ第二番。録音は一九七七年で、前にも書いたが、既にフェラスはアルコール中毒になっていてからの録音かと思われるけれども、演奏に病的なところは感じられない。バッハには美しすぎるほどの美音に、テクニックも見事で、こんなに美しい無伴奏ヴァイオリンは聴いたことがない。いや、それは正確な言い方ではない。これは自分だけの感じ方かも知れないが、異様に深く、魂を鷲掴みにされるような感じさえする。単なる美音ではないのだ。思うに、この深さが異常なのかも知れないとすら言いたくなる。このような感受性を持ちつつ、日常生活が送れるものだろうか。
 今日聴いた分でもどの曲も素晴らしかったので、甲乙などつけられないが、やはりソナタ第二番の長大なフーガは名曲で、何とも云えない演奏になっている。そして、そのあとのシンプルなアンダンテが、またあまりにも感動的だ。ちょっと言葉を尽くせない。アレグロの〆もまた。その他、盛りだくさんのパルティータ第一番は、これほど各部分の個性を感じられたことは、かつてなかった。たっぷり身が詰まっているとでも云うか。
 正直なところをいうと、この演奏で自分は、初めてバッハの無伴奏ヴァイオリンが自分のものになったような気がした。それにしても、自分にはこれほどの名演に思われるのに、この録音のことを、これまで自分はまったく聞いたことがない。じつに不思議な感じがする。この熱狂は、己だけのものなのだろうか。精神性でこの演奏に匹敵しそうなのは、メニューイン盤くらいのものだと思うのだが。それも、メニューインは技術にちょっと難点があるので、個人的にはこのフェラス盤を、無伴奏ヴァイオリンの録音の筆頭に挙げたいくらいなのである。とにかく、CDが常時入手可能であるべき演奏だと思っている。Disc2 も、そのうち聴くつもりだ。(AM1:31)