竹内淳『高校数学でわかる半導体の原理』/平野啓一郎『私とは何か』

日曜日。昼から台風の風雨がすごかった。(下は意味なし動画。ただ動画をアップしてみたかっただけ。)

カルコス。
竹内淳『高校数学でわかる半導体の原理』読了。うーむ、工学系には馴染みが薄いなあ… でもまあ、知らないことばかりなので、却って面白かった。

高校数学でわかる半導体の原理―電子の動きを知って理解しよう (ブルーバックス)

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平野啓一郎『私とは何か』読了。本書は「個人」individual に対して、「分人」dividual という語を提示し、個人は分人の総和であるとされる。分人は我々の対面するすべての他者ごとに存在し、「キャラ」などと違って、どこかに「本当の自分」individual があるとは考えない。すべての分人が対等なのである。その総体がアイデンティティあるいは個性なのであり、無理に「個性」を作ろうなどとはしない。
 以上、簡単にスケッチしたが、本書では「分人」の考え方を、いろいろなシチュエーションにおいて考察している。はっきり云って、これはとてもよく考えられていると思う。それに、これは徹底して己自身で考え抜かれていることは、指摘しておきたい。ここから、自分でも様々な思考に誘われたという点、本書の価値を示しているだろう。それから、これは以上のこととはあまり関係がないが、著者の文章は端正で、なかなか好ましい。
 空想したこと一。自我の統合ということは本当に考慮しなくていいのか。世の中には統合失調症という病もある。二。individual がないとすると、「責任を負う主体」というのは考えなくていいのか。日本人はただでさえ、「責任」というものを取らない。あの破滅的な原発事故において、どれくらいの人間が「責任を取った」のか。そういうことは有耶無耶にしていいのか。
 驚いたこと。人を殺すというのは、殺された人の分人をすべて殺すゆえに、その人の周辺へリンクされた無数の分人を殺すことだというのだ(p.155)。だから、人を殺してはいけないのだと。こういう発想は、少なくとも自分は、今まで他でお目にかかったことがない。独創的ではないか。
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)