千葉雅也『現代思想入門』

曇。花曇りというべきか。

午前中、カルコス。千葉雅也さんの新書本新刊を探しにいき、首尾よくゲット。この人は若い世代(わたしよりはという意味だが笑)の中では、なかなかもののよくわかった人。他に棚を見ていたら、河合隼雄先生のエラノス会議講演録が、岩波現代文庫の新刊として出ているのを見つけたので(カルコスえらい)、これもいそいそと買う。あとは、岩波新書の「シリーズ 中国の歴史」(全五巻)の棚にあった分を買い、残りは取り寄せてもらう。


昼から、いつも扶桑へ行くときに通る、愛知県側木曽川堤の「お囲い堤ロード」の桜を見ようと出かける。曇ってはいたが、桜のトンネルで、まことにきれいでした。

ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。宇治ほうじ茶もちふわホイップ+ブレンドコーヒー506円。千葉雅也さんの『現代思想入門』を読み始める。そっけないような題名で、看板に偽りはないのだが、たんなる「入門書」に留まらない。いや、実際デリダドゥルーズフーコーなどのよくできた入門書ではあるのだが、千葉さんが徹底的に現代、また自分自身に引き付けて読解しているため、非常にアクチュアルな記述になっている。まだ全部読んだわけではないが、とてもよい本。本書は若い人に特に勧めたいのであり、それも現代に「息苦しさ」を多少なりとも感じている人のための本だ。本書の認識として、現代は思考や生全般ががっちり「管理」されてきているというものがあり(本書の言葉なら、「秩序」)、それをどうするかという問題意識がある。この「管理」というのは、例えば国家権力がやっているというよりは、言葉、論理の力で自縄自縛になっているというものだ。また、「管理」されるということは安全で安心で、気持ちがよいという側面がある。だから、我々はお互いにお互いを進んで「管理」し合うのだ。それが現代におけるソフトな「管理」であり、人によってはそれを必ずしも否定的に捉えない(特に若い人ほど)。しかし、それではやはり息苦しい、「管理」は行き過ぎてはいけない、ということで、それに対抗する論理を紹介するというのが、本書のスタイルだと思う。それに多少なりとも共感できる人には、是非本書を勧めたいのである。

千葉雅也さんは、実際ものがよく見えていて、ものごとをよくわかっておられる人だ。本書は「入門書」ではあり、読みやすいものであるが、本物の思考であるから、その意味では全然簡単ではない。でも、読み得た人には生きるための大きな武器が手に入ることになるだろう。現在でも、わかっている人はいまだいるのだなと、頼もしく思った。
 
帰りに三井山公園に寄って散歩。曇っていますし、いつも代わり映えのしない写真ですが、満開の桜を撮ってみました。









 

夜。
千葉雅也『現代思想入門』読了。いやあ、本当におもしろかった。じつに勉強にもなった。上で上から目線でエラソーなことをいっているが、わたしなどは所詮素人、大したことはない。しかし、本書がすごくいい、哲学の本だというのは保証できる。何か自分に合いそうな気がしたら、是非読んでみて欲しい。
 それにしても、本書のいう「現代思想」(つまりポスト構造主義)は終わり、そのあと行き詰まっているのは本書の後半からも察せられる。千葉さんは本書を諦念を以て書いたというようなことを書かれているが、何となくわかる気がする。しかし、本書が扱う「いまでは古いとされる哲学・思想」を真剣に読み解いてこられた千葉さんにリアルを捕まえる眼があるのは、いまもてはやされるようなそれにリアルがないのを思うと、「やっぱり」という感じがする。そのリアルって何だといわれると、わたしなんかは困ってしまうわけだが、本書はリアルをつかまえるための千葉さんなりの方法論の吐露になっているわけだ。「秩序と逸脱」(p.243)と自分でまとめておられるが、いやいや千葉さん、本書はそれだけに留まりませんって。確かに、現在は「秩序」への振れが大きすぎるわけだが。確定化、単純化の方向に世界は進んでいて、止まらない。


篠田謙一『人類の起源』を読み始める。「DNA人類学」とでもいうべきか。おもしろいので、ひさしぶりに本に線を引きながら読んでいる。デニソワ人って知っていますか? 人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人とデニソワ人は、お互いに交雑し合っていたんだって! デニソワ人は、化石の存在からではなく、DNA解析によって初めてその存在がわかった先行人類なのである。じつに、一万数千年前まで、まだ生存していたらしい。現在の人類にも、ネアンデルタール人やデニソワ人のDNAが混在しているということなのだ。