川端康雄『葉蘭をめぐる冒険』

晴。
 
ごろごろ。
 
昼から「ひぐち」へ行くも、休みだった。
風花飛ぶ。
 
 
図書館から借りてきた、川端康雄『葉蘭をめぐる冒険』読了。終わりの三分の一くらいを読んだ。わたしの能力ではこの静かな本についてうまく書くことはできないのだが、好ましい本だった。今日読んだところでは、クリスティーナ・ロセッティの詩について書かれていたものがまずよかった。クリスティーナはラファエル前派の画家・詩人として知られているダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妹で、地味な存在であるがゆえに死後忘れられていたが、1960年あたりから再評価され、フェミニズム的な読解もされているそうである。本書で翻訳で読んでみても、地味ということはむしろ実があるということで、普遍性を感じる。原詩は美しい韻律をもっているということで、本来なら原文で読むべきだろうが、怠惰なわたしはそこまでしないかも知れない。なお、意外といえばそうだが、岩波文庫に『クリスチナ・ロセッティ詩抄』というのが入っているらしい。入江直祐訳。
 川端さんにとってオーウェルはライフワークのような趣きで、オーウェル関連の文章はどれも感銘をもって読んだ。
 川端さんの英文学の師である小野二郎氏についての文章は、知らないことばかりだった。小野二郎氏は、英文学者というだけでなく、同時代の(日本)文化への積極的な貢献があるようだ。平凡社ライブラリーに『小野二郎セレクション』が入っている。この本については覚えがあるなと思って書架を調べたら、ちゃんと既読書のところにありました。さすが過去のオレといいたいところだが、いつものごとく中身は何にも覚えていないので、エラそうなことはいえない。

 
 
夜。
ゲーテの『イタリア紀行』の続き。ゲーテという人には、天性の素直さ、気持ちのよさがあるな。

こともなし

雨。
 
いつも朝に風呂の浴槽を洗っているのであるが、今朝プログラミングのコードについてぼーっと考えながら蛇口を回したら、向きが反対だったので頭からシャワーの水をかぶってしまった。まぬけ笑
 
しかし日本語の環境にいると、本当に気候変動問題って存在するのかって思えてくるくらいだな。脱炭素? それがどーしたのって感じ。切迫感がまるでない。いまでも「鎖国」されてるんだなと痛感する。SDGsくらいではお話にならない。
 ちなみに、これは環境問題というだけでなく、経済の問題でもある。いま、両者は強くリンクし始めているということだ。だから、ヨーロッパでは強い政治的イシューになっているのである。
 
昼から肉屋とスーパー。雨で寒い。
 

 
『資本主義だけ残った』を読み始める。第二章まで読了。300ページ足らずの比較的薄い本であるが、いきなりグイグイと惹き込まれる。第一章は導入で、第二章の「リベラル能力資本主義」というのは、おおよそ民主主義先進国の話というところか。もちろん日本も含まれるが、記述での日本の存在感はほぼ0である。というのはどうでもよくて、このリベラル能力資本主義というのが、貧乏人には絶望的なんだな。それこそ「親ガチャ」が効率よく機能して、富めるものはますます富み、実質的に新たな「階級社会」(と著者がいっているわけではない)が出現していて、階級間の流動性が乏しく、しかもそれが0でないところがミソで、機会の均等性はかなり保証されているところがスキがない。現実はといえば高給取りどうしが結婚し、生まれた子供は早くから高い教育を受け、エリート校に通い、(コミュニケーション能力も含めた)高いスキルを身につける。それは実力であり、彼ら彼女らは高給職でよく働き、資産を運用し、いってみれば非の打ちどころのない「成功した」生涯を送るのだ。そして、それはあくまで実力なのであることを、強調しておこう! だから文句のつけようがない、それは「親ガチャ」という一言で表現できる。もちろん本書でそんな表現が使われているわけはないのであり、日本語のすばらしさ笑を教えてくれる言葉だ。本書には全然関係のない話だが、わたしは「親ガチャ」って言葉、最初に聞いたときはむかついたけれど、いまではよくぞ言ったとマジで感心する。おそるべし、日本の子供たち、って感じだ。実力ってのは、金と環境で身につけることができるのである。
 いや、めちゃくちゃな要約ですね。実際はもっとまじめな本である。わたしは第二章を読んで、あまりの救いのなさに思わず笑い声をあげてしまった。著者はまじめなので、事態に対抗する処方箋もいくつか挙げてある。そこは、本文に就かれたい。わたしは本書の高度な社会学的記述を読みながら、「生きることの意味」といったあるいは無意味な文句が頭に浮かんできて、そんな感じで本書を読み進めていった。我々名もなく生き、名もなく死んでいく凡人にとって、この新たな「階級社会」の下層民=我々とは、何か、と。まったく、自分勝手な読み方であろう。

 
 
夜。
『資本主義だけ残った』第三章「政治的資本主義」まで読む。政治的資本主義とは一党独裁国家の資本主義といってもいいかも知れない。しかし、この章で問題にされているのは、ぶっちゃけ中国である。どうして中国は一党独裁の政治体制を以て、これほど発展できたのか。将来性はどうか。わたしには正直言ってさほど興味のない話なのであるが、一般には本書の読みどころになるのだろうか。この章で、腐敗というものが必ずしも避けるべきものではなく扱われているのが興味深かった。著者には、世界が西洋の価値観で覆われている現在が、将来もきっとこのまま続くとは思われていない。それを考えると、日本はよかれ悪しかれ「名誉白人」ならぬ、東洋の「名誉西洋国」であるとみずから見做しているのだなあと思う。はは。
 
なお、本書では「共産主義」をして、マルクス主義の言い分とはちがい、後進国家が高度な資本主義国家にキャッチアップするための一段階と見做されているのが特徴だ。これが著者の独創なのかわたしは知らないが、説得的な主張であるように思われる。

こともなし

祝日(成人の日)。晴。
 
九、「親ガチャ」をゆるせないか | お坊さんらしく、ない。 | 南直哉 | 連載 | 考える人 | 新潮社
めっちゃおもしろい。一字一句真実だな。「親ガチャ」も「無理ゲー」も、現実をしっかりと捉えた言葉だということである。その上で、「親ガチャ」から出られないのは、たんにガキンチョなのだ、と。「親ガチャ」なんて当たり前のことなのだ。
 
ウチの夏みかんマーマレードを作る。
 
 
昼から県図書館。返却期限にはまだ間があるのだが、明後日は雪との予想なので。ブランコ・ミラノヴィッチの『資本主義だけ残った』は今日予約しておいたのだが、もう借りられた。吉本さんの全集は第19巻(1982-1984)を借りる。このあたりから高度資本主義について書くようになったのかな。
 
図書館近辺を散歩する。暖かい日差し。

地下駐車場エントランス。


八ツ草公園。



県立岐南工業高校。










以下、岐阜県美術館。



アリスティド・マイヨールの「地中海」。


岐阜県図書館。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第五番 op.10-1 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。
 
夜。
『葬送のフリーレン』第5巻まで読む。

こともなし

日曜日。晴。
深夜起床。社会科のテスト勉強をしていなくて焦る夢を見た。
暗い中、一時間あまりふとんの中でごろごろしているうち、また眠る。不思議な夢。学校とか、へんな居酒屋とか。暗くて狭い空間。
 
泉が枯れたらまた掘らねばならない。
 

 
スーパー。
 
Ruby で遊ぶ。
「フィボナッチ数を出力せよ」をRubyで - Qiita
 
深夜まで、ずっと You Tube の数学の図形問題を解いていた。

こともなし

晴。
 
ごろごろしすぎて頭呆けてる。
 
米屋。岐阜産のハツシモを買ったら、キャンペーン中とかで1.4kgも余分にくれた。
老舗肉屋でシチュー肉。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282、第十番 K.330、第十五番 K.533+K.494 で、ピアノはヴラド・ペルルミュテール(NML)。随分と昔の録音のようだが、これで充分な気がする。人によっては絶品というだろう。

Mozart Piano Sonatas

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早寝。

こともなし

晴。
早起き。昨晩は大江健三郎を読んで寝た。
 
母検査。
 
昼寝。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。川端さんの『葉蘭をめぐる冒険』の続き。ラスキンもモリスも興味深いな。わたしはラスキンは『建築の七灯』くらい、モリスは、読んだことあるのだろうか。中世と社会主義の結合。その労働観、資本主義批判。現在のグローバル資本主義批判と似ているところもあり、ちがうところもある。ただ、思想というものの力を感じるな。ラスキンはまさに思想家として人類に貢献したといえるだろう。美的生活、ってのはどうなのだろうな。少なくともわたしの生活は別に全然「美的」などではないし、美的生活というのは意識高い系という感じもする。微妙なところ。一種の機能主義のようにも思われ、そのままだとモダニズムにも繋がっていきそうだ。モダニズムってのも、現実批判だったわけだけれど、もっと徹底的に装飾を排除する。

ラスキンもモリスも、人間の「だらしなさ」というものを肯定できるのだろうか。もちろんだらしないのは褒められたものではないが、それでもだらしなさを否定する人間はわたしはちょっと苦手だ。
 
ブログ検索してみたら、にゃんと、ラスキン所有していて、既読だった笑。まったく、わたしなんぞが読書してもこんなものであるな。中身ももちろん覚えていない。
 
夜。
宇宙よりも遠い場所』第7話まで観る。
 

 濱口先生の書評で知った本。これはおもしろそうだと思って調べてみたら、梶谷先生が解説を書いておられるのか。たまたま、共にわたしの強くリスペクトする学者である。この本、県図書館にあるようだからきっと読もう。
 
メインPCの Linux Mint を 20.3 にアップグレードする。

玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

晴。
 
スーパー。
 
ごろごろ。
 
昼から図書館。現代詩文庫の『続・伊藤比呂美詩集』と、バルガス=リョサの『ケルト人の夢』を借りてくる。バルガス=リョサは500ページ以上のぶ厚い本なので、途中まで読んで返却の予感。
帰りにイオンタウンに寄る。




 
玄侑宗久『現代語訳 般若心経』読了。おそらく再読。現代最高の般若心経の翻訳かも知れないな。おっかなくて感想など書けない。

願わくば本書が極めて少数の心ある方々に届きますように。そうした方々にすら、本書の価値は計り知れないものであろう。
 
夜。
細野晴臣『Heavenly Music』を聴く。坂本さんと細野さんのラジオトークYou Tube で聴いていて、このアルバムが聴きたくなった。
Heavenly Music

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