玄侑宗久『荘子と遊ぶ』

日曜日。晴。
昨晩は玄侑さんを読んで寝た。

NML で音楽を聴く。■バッハのトッカータハ短調 BWV911、イギリス組曲第三番 BWV808、カプリッチョ変ロ長調「最愛の兄の旅立ちに」 BWV992、他で、ピアノはフリードリヒ・グルダNMLCD)。■ハイドン弦楽四重奏曲第四十二番 Hob.III:57 で、演奏はハンソン四重奏団(NMLCD)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十二番 K.589 で、演奏はフェシュテティーチ四重奏団(NMLCD)。
 
好天。
今日は航空自衛隊岐阜基地の「航空祭」なので、ずっと飛行機の轟音が聞こえる。編隊飛行などは家から見られた。各務原は基地の町なのである。

メジロが庭に生った柿の実を食べに来ている。いろんな蝶も飛んでいる。隣の川で一心不乱に食事しているカルガモ


玄侑宗久荘子と遊ぶ』読了。原本の筑摩選書版も持っていてかつて読んだが、さてどこに置いてあるのやら。今回文庫化されたので購入した。肝心の細かい内容はすっかり忘れていて、堪能した。このブログでよく「玄侑さんは侮られている」と書くわたしであるが、侮っていたのは自分じゃないの?と思った。やはり玄侑さん、すばらしいです。今回もまだ読めているとは言い切れないので、そのうち読み返したいのだが、できるかしら。なお、解説のドリアン助川という人はまったく存じ上げないが、なかなかによい解説でした。ってまるで上から目線ですね、そういうつもりはありません。

荘子と遊ぶ (ちくま文庫)

荘子と遊ぶ (ちくま文庫)

BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 井筒俊彦」

昧爽起床。
変すぎる夢を見る。変すぎて説明のしようがない…。

NML で音楽を聴く。■バッハのイギリス組曲第二番 BWV807 で、ピアノはフリードリヒ・グルダNMLCD)。■バッハのリュート組曲ホ長調 BWV1006a で、リュートは水戸茂雄(NML)。

ペルゴレージのコンチェルト・アルモニコ第一番で、演奏はイ・ムジチ合奏団(NML)。ペルゴレージといえばあの最美の「スターバト・マーテル」くらいしか知らないのだが、これもとてもよいな。

6 Concerti Armonici

6 Concerti Armonici

調べてみたら、この曲集はじつはペルゴレージのものではなく、ウニコ・ヴィルヘルム・ファン・ヴァッセナールという人の曲らしい。ペルゴレージの作と誤って伝えられている曲は他にも少なくないという。NML は間違った表記でダメじゃないか。■内藤明美(1956-)の「五つの和歌」で、マリンバはウィリアム・ムーシュ、イリノイ大学チェンバー・シンガーズ(NML)。内藤明美という作曲家については何も知らない。この曲はペルトっぽいきれいな曲。西行の和歌が歌われているようなのだが、たぶん日本語なのだろうけれど、わたしには言葉はまったく聴き取れなかった。じつは日本語かどうかもよくわからないという。

 
晴。
午前中、甥っ子の勉強を見る。

録画しておいた、BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 井筒俊彦」を観る。
20191109215740
20191109215748
20191109215803
20191109215814
20191109215823
20191109215840
わかりやすくて内容もよく、「井筒俊彦入門」としてよくできていると思った。「東洋と西洋の行き来できる、哲学的に共有された場を作る」という観点から井筒思想がまとめられていたと思うが、つまるところそれでよいのではないか。また、サヘル・ローズさんのナビゲーションはふさわしくもぴったりだった。最後に中沢さんがまとめたのも、中沢ファンとしてはうれしい。井筒先生を扱ったイラン映画から映像がかなり引かれていたが、この映画は興味深く、日本に紹介してもらえないか知らん*1。しかし、当然かも知れないが、井筒先生は日本でより世界でより重大深刻に受け取られていることがわかった。日本では、「井筒は中二病にウケる」だもんな。中二病者であるわたしは、これからも井筒先生を読んでいこうと思った。

*1:追記。2018年に日本で公開されていることを知った。

こともなし

晴。

午前中、二時間ほどごろごろ。

好天。昼から医療器具販売店。米屋。肉屋。

夕方、家族旅行のブログ記事を書く。

夜、続けて家族旅行のブログ記事を書く。

staff.hatenablog.com全然知らなかったが、「はてなキーワード」が終了して「はてなブログ タグ」というサービスに替っていた。僕は、はてなダイアリーのときあった、アマゾンのタグを貼り付けると、タグの貼り付けられたブログエントリに特定ページからリンクされるサービスを再開して欲しいのだが。

沖縄家族旅行(第三日)

寝ていて午前二時頃に目覚めてしまい、当分寝られないとすぐにわかったので、iPad のブラウザからヘッドホンで NML を聴いてすごす。聴いた曲。モーツァルトのピアノ・ソナタ第一番(クララ・ヴュルツ)、ディヴェルティメント K.563 (トリオ・イタリアーノ)、交響曲第三十五番 K.385 (カール・ベーム指揮ベルリン・フィル)。ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第五番(ベルナルド・ハイティンク指揮ロンドン・フィル)。武満徹の合唱作品集(山田和樹指揮東京混声合唱団)。早朝五時ごろに眠くなってきたので、二時間ほど眠る。

ホテルで朝食を採ったのち、九時ごろ「国際通り」を歩いてみる。人通りは少なく、ガランとしている。
アーケードのある市場中央通りへ。下は那覇市第一牧志公設市場の移転した跡。

「平良カーテン専門店」で紅型(びんがた)模様の暖簾を買う。それから、公設市場が移転した方へ歩く。

移転した市場の中。この時刻、まだ観光客は少ない。


今日は本当は那覇市歴史博物館を訪れる予定だったのだが、なんと休館日だった。きちんと調べていなかったのだった。
そして、当然首里城も訪れる予定であった。しかし、一週間前に火災でまさかの消失…。行ってみたが、観光客はもちろん少ない。下は焼けなかった守礼門

守礼門の少し先までしか行けない。あとは立入禁止。

歩いて玉陵(たまうどぅん)へ。琉球王国の歴代の国王が葬られている場所。

日差しが強く暑い上に、段々と歩くのがしんどくなってくる。老母はかなり大変そう。しかし、首里城の石垣が見えるところまで歩くというので、そうする。すると、ああ、首里城が燃えているのをテレビが撮影していた場所だった。


老母が限界に近いのだが、「識名園」も行くというので、そうする。途中で昼食を取る予定だったが、調べておいた店が見当たらない。ので、那覇空港内で食べようということに。とりあえず「識名園」。琉球王家の最大の別邸で、国王の保養や外国使節の接待に使われたという。



レンタカーを返却、那覇空港へ。搭乗機(JETSTAR384便)は40分近く遅れるらしい。搭乗手続きを済ませ、空港内の「ロイヤルコーヒーショップ」にて昼食。保安検査が厳重で時間がかかるとのことで、早めに行く。確かに混んでいて、だいぶかかった。なんだかんだで、離陸は一時間ほど遅れることになった。ただ、ジェット気流の関係か何か知らないが、二時間半かかった行きよりも一時間近く短い時間でセントレア中部国際空港)到着。
 な・の・だ・が。JETSTAR など LCC は、セントレアの第二ターミナルに到着します(スカイマークだけ第一ターミナル)。それが、飛行機を降りてから手荷物受取場まで、まあ歩かされるのなんの、1km はあったよ。で、そこから名鉄の空港駅がある第一ターミナルまで、さらに 1km くらい歩かされ、空港駅に着いたのは着陸から30分は経っていた。セントレアLCC を差別しすぎでしょうと思わされたが、他の空港もそうなのか知らん。マジですか。で、今日も万歩計は、15000歩に達しておりましたとさ。ま、旅行は本当に楽しかったので、いいようなものだけれど。

沖縄家族旅行(第二日)

早朝起床。下の写真はホテルの部屋から。いい天気で、暑くなりそう。


沖縄の北の方にある「美ら海水族館」へ行くのであるが、まずは途中の「万座毛」に寄る。いわゆる景勝の地だ。写真を見てもらえればわかるだろう。


これはすばらしい眺望だった。辛うじて団体客の到着に先んじた。中国語の飛び交うことといったら。下は変った声で鳴いていた鳥。どういう鳥かは知らない。あたりの植生も沖縄らしかった。


国道58号と449号を北上。途中、名護市のあたりで例の「辺野古埋め立て」のための土砂採取場の横を通る。反対の抗議活動を行っている人たちを見た。山は荒々しく削り取られていた。
一時間ほどで「沖縄美ら海水族館」に到着。暑い。

くらげ。きれいなのでアップします(笑)。

ここは何といっても大水槽のジンベエザメとマンタである。大満足。


施設内のレストランで昼食。バイキング方式でした。

水族館を離れ、すぐ北の「備瀬のフクギ並木」へ。
ここは何かというと、つまりは古い沖縄の村の佇まいがわずかに残っている場所ということである。しかし、我々のような観光客が迷惑をかけているという感じもしないことはないし、観光客を当てにした商売も多少ある。これがいつまで残るかはわからない。なお、何箇所も蚊に喰われるような場所です。かゆい。
暑くてそろそろくたびれてきた。歩くのがしんどい。


多少東へ行って、「今帰仁城(なきじんぐすく)跡」へ。琉球王国が沖縄をを統一する前、14世紀の北山王の居城跡で、石垣が残っている。北山王はそののち滅ぼされた。琉球王国の城になったあとは、薩摩藩の侵攻(17世紀)に遭ってもいるという。

よろよろ歩く。何か大音量の甲高い金属音のようなのが一面に鳴っていて、最初は人工音なのかと思った。しかし、樹の下にいるとすぐ上でキーンという音がする。受付の人に訊いたら、なんとオオシマゼミという蝉の鳴き声だったのでびっくり。自然音だったとは。
下は城内のウタキ。今回の沖縄の旅でウタキを見たのはここだけだった。

ふらふら登っていくと、すごい眺望が待っていた。

下まで降りてきたら、猫が寝ていたのでさわる。そしたら近くの小屋のおじいさんが「サトウキビジュース300円」といった。くそあついので「飲む!」と即答。サトウキビを絞って氷を入れただけのジュースだが、めちゃくちゃうまい。甘露である。しかし、ここの看板猫だったのね。


さて、また有料道路を今度は南へ一時間ほど行き、昨日泊まったホテルから20分くらいのところである「チビチリガマ」へ。

ここは老父のたっての希望で予定に入れたところで、アメリカ軍が最初に沖縄に上陸した地点であり、ここで住民の集団自決があった。それほど有名な場所ではないので、観光客などは他にまったくいなかった。「ハブ注意」の看板がいくつもあった。暗い場所なので、写真もあまりよく撮れていない。

あとは国道58号をずっと南下し(途中にアメリカ軍の巨大な嘉手納基地があった)、那覇市内の「JR九州ホテル ブラッサム那覇」へ。「国際通り」のすぐ近くである。ちなみに、那覇市内のドライバーの運転はかなり不親切だと思う。慣れない都市の運転で車線をまちがえることがあるのだが、意地でも入れてくれない車が多いという印象。


夕食は外で。老父は大学時代の友人(沖縄出身)と飲むため、わたしと老母は夜の「国際通り」を歩きながら、予約しておいた「うりずん」へ。ちょっと店を探すのに手間取ったが、まあリンク先の食べログを見てもらえばわかるけれど、点数がすごく高い。なので、常連以外は我々のような観光客だったようだ。古い居酒屋で、老舗といってよいだろう。もちろんおいしかった。何でもあとでの老父の話だと、老父が会った友人の、そのまた友人(故人)の開いたお店だというので驚いた。いまは息子さんが継いでいるようだ。
 那覇のモノレールであるゆいレールにも一区間乗ってみてホテルに帰る。それにしても夜の「国際通り」のにぎやかなこと。噂どおりというか、すごいものだな。まさにアジア的猥雑と混沌の世界だった。

今日一日で、老母の万歩計によると16000歩、11km以上歩いたらしい。夏のように暑かったし、本当に疲れた。老母はよく歩いたと思う。老父がいちばん元気だったようだ。

沖縄家族旅行(第一日)

老父が前から行きたいと言っていた、沖縄への家族旅行である。旅費を低く抑えるため、初めて LCC の格安航空券を使った。わたしは恥ずかしながら、この齢にして最初の沖縄になる。

前日は早く寝て、午前三時半頃に起床。一時間ほど音楽を聴く。五時台にタクシーで名鉄岐阜駅へ。セントレア中部国際空港)への始発に乗る。下は夜明けを迎えた岐阜駅のホーム。

飛行機(スカイマーク551便)は 0915 セントレア発。途中、眼下に奄美大島など見える。1150 定刻那覇国際空港着。レンタカーを借り、まずは那覇市内の「守礼そば」にて沖縄そばを食う。そばというよりは硬めのうどんで、おいしい。わたしは豚の軟骨入りのにした。お昼どきなので島唄のライブをやっていて、わたしでも知っているような唄もあってよかったが、何か皆んな聴いているのかしらという感じでちょっと気の毒な感じもした。まあ勘違いかもしれない。


今回は老父の要望で、慰霊の旅でもある。まずは那覇から南下して、有名な「ひめゆりの塔」へ。

解説は不要であろう。資料館は修学旅行生などでいっぱいだった。確かに若い人たちが戦争の勉強をするのにとてもよいところである。解説には司令官の牛島中将(Wikipedia の「沖縄戦」などではもっぱら賞賛されている)に対して批判的な文章もあって、強く沖縄の真情を感じた。いずれにせよ、いろいろいう人もあるが、日本軍にとっては沖縄は本土のための捨て石であったことは間違いない。そして、「ひめゆりの塔」で慰霊されている女学生たち(医療活動に従事していた)を始め、たくさんの民間人が亡くなったのである。


ひめゆりの塔」から少し先へゆくと、「沖縄平和記念公園」がある。駐車場の近くで、解説付きの電動カートに拾ってもらったが(一人100円)、これがよかった。太平洋戦争の戦没者(民間人、アメリカ兵を含む)の名前を石に刻んだ「平和の礎(いしじ)」はとても有名であると思うが、32府県の独自の慰霊碑があるのは御存知だろうか。下は岐阜県のもの。

カートに乗っけてもらわなかったら、とてもここへは行けなかったことだろう。スタッフのおじいさんが一生懸命解説して下すって、とても興味深かった。また、下は広島と長崎からわけてもらった火を灯す、「平和の火」だそうである。ここからは海もよく見える。

申し訳ないが、資料館には行かなかった。


これで今日の予定は終了。有料道路を使って、一気に恩納村の「ホテルモントレ沖縄 スパ&リゾート」へ。プライベートビーチをもつ巨大なリゾートホテルであるが、我々は朝食のみのプランで別に高額でもなんでもない。夕食は外へ出て、近くの「農園炉端しまぶた屋」へ。楽しく食事。老父が強い泡盛をたくさん飲んで元気だった。

こともなし

振替休日。晴。
昨晩は鈴木大拙を読んで寝た。よい睡眠だった。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第五番 BWV1018、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番 BWV1006 で、ヴァイオリンはヘンリク・シェリングチェンバロはヘルムート・ヴァルヒャ(NMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第一番 op.18-1 で、演奏はエリオット四重奏団(NMLCD)。若いカルテットなのだろうが、将来が楽しみだな。
 
夕方、図書館。

早寝。

明日から小旅行してきます。