慎改康之『ミシェル・フーコー』

曇。

午前中、甥っ子の勉強を見る。

leeswijzer.hatenadiary.com三中先生の書評。日本の科学力がどうなろうと自分にあまり関係がないことは事実だが、さみしい話である。日本の学術研究は、これからどうなるのだろうか。ここまでなっても、おそろしいことに、いまだに国の施策の方針は変っていないのだ。国自身が、ゆっくりと日本を壊していっている。国民も、いいかげんにそのことに気づいた方がよくはないか。
 学術研究というのは、いま方針を替えてもすぐに結果が出るというものではない。方向を替えるのは、早ければ早い方がよいことはいうまでもない。繰り返すが、わたしにはどうでもよいことだけれども、つくづくさみしい。
 せっかくなので、被書評本は読んでみることにした。


慎改康之ミシェル・フーコー』読了。入門的新書本。なかなかおもしろかった。フーコー、読み返したくなった。本書を読んでいると、いまでもよく参照されているのは『監獄の誕生』だというのがわかるので、その内容はいまの文系の学問では肯定するにせよ否定するにせよ、目配りしておかなくてはならない「教養」になっている気がする(よくは知らないが)。しかし、わたしがフーコーをよく読んでいた頃では、フーコーといえば『言葉と物』だったのではないか。本書では『言葉と物』については例の「人間の消滅」を取り上げて、非常に単純に読解されているが、さてそんなものだったのか知らん。はっきり言ってわたしにはフーコーを読むのは大変なのだが、年下の人たちはそうでもないようで、時代は進歩するのだなと感心する。もう、フーコーは教科書でまとめられている存在ですからね。とにかくわたしには大変なので、このブログでも「フーコーを読み返したい」と何度も書いているが、全然読み返してなどいない。しかし、過去わたしはフーコーの本に10万円くらいは投資しているようだから、まあ本棚の肥やしにしておいてもねえ。バカなジジイだけど、フーコー、読み返そう、きっと。

しかし、『性の歴史』の第四巻が出ていたとは。既に邦訳されているのかな。

しかし、極少数の例外を除いてインターネットはホントに白茶けていて、精神の硬直化しつつあるおっさん(=わたし)を白痴化させる。書物の世界もそうなってきていて、むなしいとしか言いようがない。少し読んでは、読めなくなる本が多すぎる。わたしはもうボケが始まったのかも知れない。多少でも自分を元気づけてくれる書物は貴重だ。

NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第五番 BWV816 で、ピアノは岡田美和(NMLCD)。この演奏がすごいそれだとは思わないのであるが、わたしにはこれで充分だ。この曲はこういう曲だと思う。ただ、ジーグの後半の繰り返しがないのが残念で、ジーグだけ二度聴いた。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十番 K.499 で、演奏はフェシュテティーチ四重奏団(NML)。

String Quartets K 499 575 589 & 590

String Quartets K 499 575 589 & 590

シマノフスキ弦楽四重奏曲第二番 op.56 で、演奏はエリオット四重奏団(NML)。これはすごい迫力。シマノフスキは好きだ。
Szymanowski & Beethoven Works

Szymanowski & Beethoven Works

シェーンベルクの六つのピアノ曲 op.19、ピアノ曲 op.33a、ピアノ曲 op.33b で、ピアノはピーター・ゼルキンNMLCD)。■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第五番 op.27-5 で、ヴァイオリンはノエ・乾(NMLCD)。イザイの無伴奏ヴァイオリン、ほんとにすばらしい。こんな曲集があったのだな。

黛敏郎の「涅槃交響曲」で、指揮は岩城宏之、東京コラリアーズ、NHK交響楽団NML)。