こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第二番 BWV826 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。日本人ピアニストだからというので聴かれていないとすれば、とても残念なことである。CD ではもはや入手不可であり、自分も NML でたまたま見つけなければ聴くことはなかったであろう。何というか、ここまでやってもダメなのであろうか。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第八番 K.310 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。ほぼ理想的な演奏。自分はこの曲はクラウディオ・アラウの録音がこれまでいちばん印象的であったが、この演奏はまたそれとはちがう見事な出来だ。アラウの演奏はアラウ自身の経験と譬えようもない深さに価値があるものだったが、この野平一郎による演奏はまさしくこれぞモーツァルトという感じのする名演である。どれもよいが、敢て挙げるなら第二楽章であろうか。しかしこれ、自分が日本人だからこう思うのだろうか。本当にわからない。とにかく、日本人によるクラシック音楽受容もここまできたのである。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第五番 op.24 で、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ピアノはヤン・パネンカ(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十一番 op.22 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。ケンプいいな。しかし、どうも自分は日本のオールド・クラシック・ファンの手のひらから出られないようだ。

病院で診察。先日の検査の結果はよいものだった。まだ念のための検査がいろいろあるが、これまで本人にはつらい治療だったので、とりあえずはよかった。ただ、再発の検査など二〜五年はいろいろ見ないといけないようである。やはり簡単な病気ではないな。

昼から雨。

ミスタードーナツ イオンモール各務原店。チーズタルド アプリコットブレンドコーヒー。高橋源一郎さんの憲法本を読む。源一郎さんはなんと大学の某研究所の所長だそうで、ゲストを呼んでの公開講座で「憲法」を主題にしたものを、書籍化したのが本書ということになる。まだ三分の一くらいしか読んでいないのですけれどね。とりあえず冒頭、長谷部恭男氏が、一般人が憲法について一生懸命考えなければいけない社会というのはたぶん不幸な社会だと仰られていたのが印象的だった。まあ僕はお勉強のためというよりは、源一郎さんの本だから買ったのだが、確かにいまは不幸な時代だと思う。しかし、素人がお勉強といってもじつにむずかしくて、勉強しても切りがない。まあ、学者の人たちはそういうことをずっとやっているわけだから、素人が通暁なんて無理なのは当然である。本書を読んでもつくづくそうなので、全然自分は勉強していないなあとそればかりだった。で、生半可に勉強してツイッターとかで間違ったことをツイートしまくってこちらが絶望したくなるアカウントもたくさんある。いや、そういう自分だって、正しいという保証など何もないし。源一郎さんは本書で「民衆はそんなにバカじゃないし」みたいなことをさらりと仰っているけれど、自分は自分も含めた「民衆」がいかにバカでまちがえやすいか知っているので、そこのところは源一郎さんに同調できない感じもする。じゃあ、一般人がお勉強するのは無意味なの?というと、そうでもないのだろうが。それにしても民主主義は最悪の政治制度だけれども、それよりマシなものが見つからないというのが、自分の実感である。さらに読む。

ツイッターを見ていて思うのは、人間がいかにルサンチマンに満ちた存在かということ。例えば自分はリフレ政策の支持者だが、いわゆる「リフレ派」の正しいことを言っている経済学者その他たちの中で、ルサンチマンに塗れていない人は山形浩生さんとか、森永卓郎さんくらいのものではないか。これはもちろんリフレ派だけの話ではなくて、反リフレ派でもまったく同じことである。ツイッターなど SNS は、むしろルサンチマンを増幅する装置としても機能しているだろうと思っている。特にはてブとか。

いつごろからかツイッターで「クソリプ」という言葉をしばしば見かけるようになったが、イヤな言葉であり、イヤな時代になったものである。そういう言葉がどうしても必要とされる現実がそれこそクソだ。そして、正義の人は必然的にこの言葉を使うのである。僕は「キモい」という言葉もキライだが、正義の人はたいていキモい。