中沢新一・河合俊雄編『思想家 河合隼雄』

晴。毎日晴れでどうなっているのだろうなと思う。
ホントどれだけでも寝られるので、意図的に起きないといけない。延々と夢を見ている。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第五番 BWV829 で、ピアノは園田高弘NML)。NML だと CD ではもはや入手できない音源が聴けるのがうれしい。

バッハ:パルティータ

バッハ:パルティータ

モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十九番 Hob.XVI:49、第六十番 Hob.XVI:50、第四十七番 Hob.XVI:32、第五十四番 Hob.XVI:40 で、ピアノはポール・ルイスNML)。どうでもいいが、アマゾンのクラシック音楽の CD の表記はじつにいいかげんで、もう訂正要求を出すのも面倒になった。まったくやる気が見られない。
Haydn: Piano Sonatas 32, 40, 4

Haydn: Piano Sonatas 32, 40, 4

 
ちょっと元気が出てきた。

暑い中、カルコス。いつものごとく、「群像」の中沢さんの連載を立ち読みする。ついにこの領域に入ってきたかという感じ。読んでいて静かに興奮した。フロイトユングの差異についての話は自分にもとてもよくわかった。それから、今月の連載にはいろいろな形で物理の話題が出ていたのも個人的に特に興味を惹かれた。エネルギー保存則を提唱したのはどうして物理学者ではなく、たんなる医者だったのかとか。それから、きわめて重要なのがユングとパウリの共著についての話。ヴォルフガング・パウリは綺羅星の如く輝く二十世紀の天才物理学者たちの中でもとりわけ優秀な人物で、量子力学におけるいわゆる「パウリの排他律」や、スピンの理論がその主要な業績である。手厳しい批判的精神の持ち主で多くの物理学者に恐れられたほどの人物であった。そのパウリが心理学者のユングとひっそりと共著を出していて、自分も学生のときに読んだが非常に不思議な印象を与える難解な本だった(いまでもたぶん書庫?にあると思う)。結局自分ごときにはもちろんよくわからなかったわけだが、ここで中沢さんはレンマ学の立場からこの本を読み解いていて、ちょっとため息をつかせられる感じだった。それにしてもこの中沢さんの連載には迸るような創造力が感じられて、ここから無限の富を引き出せそうな予感がある。単行本になったものを早く読みたいと思う。
 文庫本もいろいろ買った。ちょっと元気が出てきたので、これまで買わなかった本とかも買った。


中沢新一・河合俊雄編『思想家 河合隼雄』読了。再読。単行本版をもっているのだけれど、ふと中身をぺらぺらめくっていたら買う気になってしまった。文庫化にあたって大澤真幸さんの論考が収録されているというのもあったが、それがいちばんつまらなかった(笑)。しかしこれ、河合先生の文章は一篇だけで、それも翻訳なのだな。でも、とてもおもしろかった。まあ、相変わらず自分勝手な読み方をしたので、中身について書いても意味ないと思う。ただ、自分の(精神的な)貧しさを痛感して、で、どうして自分はこうも自分の貧しさが気になるのだろうなあと思った。いや、これはよく思うことだが。いま、若い学者たちは総じて非常に優秀だが、心が圧倒的に貧しい。でも、彼らはもちろんまったくそうは思っておらず、自信満々で、古い日本を糾弾・嘲弄して已まない。まるで、古い日本によいところはまったくなかったかのようである。彼らからすれば、実際にそうなので、彼らは本気でそう思っているのだ。もっとも、こんなことを言っても無意味である。時代を作っていくのは彼らであるし、それはそれで日本が西洋国になるのもまちがいないのかもしれない。まあ自分にはそんなことにはもうあまり興味がないというか、自分などにはどうしようもないこととして力不足を認めざるを得ない。それでも、いまだに自分の貧しさは本当に気になる。それはただの見栄だけではないように思っているのだが。

思想家 河合隼雄 (岩波現代文庫)

思想家 河合隼雄 (岩波現代文庫)

本書最後の養老先生へのインタヴューは非常におもしろいので、インターネットと融合した現在の「リアリティ」を養老先生がどう思っておられるか、訊いてみたい気がする。河合先生は、インターネット社会を知らずに亡くなられてしまった。中沢さんはインターネットについてはほとんど発言されておらない。なかなか、自分ごときがどう考えてよいか、悩んでいるところである。

河合俊雄先生は河合先生の御子息であり、同じ心理療法家であるが、かつて山形浩生さんがクソミソに罵倒していたのを覚えている。今回本書を読んで、あらためてなかなかの人物だと思った。この人もなかなか一筋縄ではいかない人に思える。

自分は、日本で東洋が崩壊してゆくのをまざまざと実感している。このところ、自分の意識はその感覚で占められている。