上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』

深夜起床。
脳みそ、アニメで汚染(?)されているなあ。

NML で音楽を聴く。■リヒャルト・シュトラウスオーボエ協奏曲 ニ長調で、オーボエはゴードン・ハント、指揮はウラディーミル・アシュケナージ、ベルリン放送交響楽団NML)。

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ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十七番 op.31-2 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NML)。すばらしい。 
ツイッターって、言葉の意味=方向がめちゃくちゃに散乱していて、見ていると言葉が空無化してくる。よくも皆さん、こんなの見ていられますね。
ってまあ、自分が時代遅れなだけだけれどな。
世界を止めることが必要なのだけれど。

曇。朝寝(?)。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第一番 op.18-1 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。日本のすばらしいカルテット。

スーパー。

昼食はうどん。朝が早くてお腹が空いていたので、おいしかった。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第一番 op.2-1 で、ピアノはハンス・リヒター=ハーザー(NML)。この曲のカッコよさが存分に出た演奏。このようにちゃんとベートーヴェンの音が出ているピアニストは少ない。この曲をベートーヴェン当時の聴衆が聴いたとき、どんなに驚いただろうというのが彷彿とされる。ハンス・リヒター=ハーザー(1912-1980)はドイツのピアニストで、日本語の Wikipedia の記載はごく少ない。わたしは初めて聴くのではないか。

 
昼寝もする笑。夜寝られなくなるぞ。

原武史さんの『「線」の思考』を読むも、いまひとつ無味乾燥でおもしろくない。わたしのレヴェルを超えているのかも知れない。半分を過ぎたところで挫折する。


図書館から借りてきた、上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(2010)読了。ものすごくおもしろかったが、何と書いたものか。あとがきで著者が「こんなに不愉快な本を書くつもりはなかった」(p.284)と記していたのには思わず笑ってしまった。確かに男性であるわたしにとって不愉快な本ではあったが…。しかし、わたしの素直な読後感を書くと、まず感じたのは、「男であり女であるというのは、こんなにドロドロとしたものなのか」という驚きであった。わたしはいい子ぶるわけでなく、あまり人生というものを生きてこなかったな、男も知らないし、女も知らないなと思う。異様な生き物を見るような目で、本書の「男女関係」に関する分析を読んでいたといっていい。本書に驚かされたのは、著者自身のルサンチマンというか、きわめて生々しい怒り・憤怒の生体解剖であった。本書の価値は、まずはそこにあるだろう。みずから地獄の火で焼かれている。本書では「ミソジニー」(女性嫌悪)という概念を中心に記述が回転するといっていいが、そのミソジニーとは男性にあっては「女性嫌悪」であり、女性にあっては「自己嫌悪」であるとされる。そのいわばたんなる概念に、ドロドロした感情分析・社会分析が肉付けされていくのだ。その怒りには、本当に驚かされた。
 これ以上は書かない。しかし、わたしは老年が先に見えてきて、これから自分の男女関係を再構築することはないのだろうなと予感している。前にも書いたとおり、ラブコメアニメでも見て人生から降りていって、さほど後悔はないだろうという感じだ。これからのちの時代の性関係は大変だ。若い人たちの意志と幸福と幸運を祈りたい。

なお、本書中で何度も言及されるイヴ・セジウィックは、市の図書館にも県の図書館にも架蔵されていなかった。こういう本こそ、図書館で読めるとよいのだが。

早寝。