こともなし

曇のち晴。
 
大垣。
外気0℃は車中で初めてかも知れない。冠雪した伊吹山が大迫力だ。遠くの鈴鹿山脈も墨絵のように美しい。
ミスタードーナツ大垣ショップ。エビグラタンパイ+ブレンドコーヒー457円。温かいコーヒーがおいしい、沁みる。
 ホブズボームの『20世紀の歴史』の続き。ホブズボームは彼の「短い20世紀」のお終いを、「危機の時代」と呼んでいる。それが、わたしなんかには不思議な感じだ。日本においては、むしろ平穏で、きわめて「豊かな」時代に感じられていたような、気がする(例えば、バブル時代)。確かに、当時、西洋以外の成長がめざましく、西洋人にはみずからの「没落」が印象づけられたのはわからないでもない。でも、あのホブズボームが、そんなことで世界史的な「危機の時代」なんて、呼ぶだろうか?
 ホブズボームには、独特の経済観がある。それは驚くほど視野の広いもので、たんに(いま主流の)「新古典派経済学」に限られるものではないし、また、古くさいマルクス主義経済学に収まるものでもない。例えば、既にグローバル経済に結びついた「富の格差」(新しい階級社会)の視点がある、これは、非常に「現代的」なものだ。また、国家とグローバル資本の間の緊張関係も、既に捉えられている。そして、国家経済の「(新)自由主義化」と、福祉国家の間の緊張。個人的な空想だが、ホブズボームと、経済の点で対話できたら、おもしろかっただろうな、なんて埒もないことを思ったり。
 いずれにせよ、驚異的に広い視野と、微細な点にまでわたる博識、これは、たんに個人的な資質で可能なことでなく、ホブズボームがよほど優れた知的サークルに所属していたことを想像させる。天才というのは小集団現象だと、中井久夫はいった。
 

白梅、一昨日撮ったもの。
 
昼。
昨晩のおでんの残りと、ねぶか汁。「ねぶか汁」はつまるところまあ、ネギの味噌汁で、季語としては貧乏を連想させるそれだともいう。でも実際は、じつにうまい。甲津原の田舎味噌のせいもあると思うけれど。
 
スーパー。三倍ポイントの日に限って、あまり買わなかったりする笑。卵一パック(10個入)が「お一人様1パック限り」とあったが、それでも税抜278円もする。なんかバカみたいに高い。魚は鱈(タラ)の切り身が多少安かったので、買う。肉は安いミンチばかり選ぶようになってきた。
 寒いので温かいものをと、老母のAGFキャラメルカフェオレを1スティックもらう。まあ、この寒さはいまが底で、立春を過ぎれば次第に暖かくなるんじゃないかな。
 
 
「平和ボケ」は悪いことなのか? 東浩紀著『平和と愚かさ』を梶谷懐が読む|リアルサウンド ブック
【『ゲンロン13』関連記事】悪と公共性をアジアから考える(1)|梶谷懐+東浩紀 | webゲンロン
めっちゃおもしろいな。しかし、むずかしい。残念ながら、わたしにはこれらをしっかり理解できる知識も能力もない。
『なぜならより理性的で普遍性を備えた軍隊の下では「悪の愚かさ」は生じない可能性が高いからだ。』
 これは一見何の問題もない文章のようである。が、バカなわたしには、これはほとんど意味をなさない文章に思える。というか、この紋切り型の命題は、ほとんどトートロジーのように見えてしまう。「正しい軍隊は正しいことをする」というような。
『だからこそ人文学的な知には、人間の幻想の厄介さに向き合いそれを訂正していく、一種の啓蒙活動を担うという役割がある。そう東は主張する。』
 つまりこれは、我々愚民は、「人文知」という「知的エリートの啓蒙活動」に素直に「屈服」せねばならない、みたいにも読める。愚民はつべこべいわないで、正しさを担保するエリートにおとなしく啓蒙されておけ、と。でも、それはしかたのないことかも知れないが。我々愚民には、「正しく」考えることは事実上、ムリなのかも知れない。そんなヒマも知識も能力もないから。
 結局、わたしはバカすぎて、残念ながら「正しい」ということが、わからないのだな。何が正しいかわかっている人は幸いである。知識と知力があれば、わかるのだろうが。
 
わたしは人文学 humanities というのは、「人間らしさ」に関する学問なのだとずっと「誤解」していた。しかしいまでは、「正しさ」「正義 justice」を判定する学問のような意味で、使われているようである。「人間らしさ」というのは、どこかへすっ飛んでいってしまった。
 いまや、わたしには「人間らしい」というのが、なんなのか全然わからない。オーウェルがいった、decent のようなもの。日本語では、「上品な」のように訳されてきたが、いま Google に訊いてみたら「ちゃんとした」と訳した。オーウェルは、例えば「絶対平和主義」ではなかった。当然だ、スペイン内戦で義勇兵として戦ったくらいだから。確かにそれは「正義」の行為でもあったろうが――でも、たぶん、オーウェルの意識としては、それは decency の追求だったように思える。口先だけの行為ではまったくなかった筈だ。
 いまや「人文学」は、もっぱら抽象概念と複雑な論理の問題になっているように、わたしごときには見える。世界は、抽象概念の下で回っている。いまいうところの「人文学」は、わたし程度には、理解するにむずかしすぎるのだ。ま、そんな頭の悪い、どうでもいいこと、誰も興味ないと思うが。
 

 
夜。
「肉は安いミンチばかり選ぶようになってきた」と書いたら、他の肉はちゃんと肉屋で買っているのだ、ここではミンチしか買わないだけ、とクレームが入ったので、ミンチは安いから、その料理が増えた、と訂正しておくぞ笑。
 
『綺麗にしてもらえますか。』第4話を観る。地味な低予算アニメだけれど、オレ、こういうのが結構好きなんだな。熱海をロケ地にして、若い女優を主人公に使った、昭和のどうでもいいドラマみたい。毎週わりと楽しみにしている。