日曜日。
短時間眠って深夜起床。することもないので、図書館から借りてきた鈴木結生(ゆうい)『ゲーテはすべてを言った』(2025)をふとんの中で読み始め、そのまま最後まで読んでしまう。第172回芥川賞受賞作だそう。(意図的であろう)生硬な多少古くさい文体で、優秀な大学教授(日本におけるゲーテ学の権威とされている)を主人公にした、きわめて衒学的な物語が展開されている。ほぼ衒学のみが目的であろうと思われ、お話のおもしろさのようなものは、さほどない。オレにはこんなに知識があるんだぞ、どうだ、これでもかっていう、若い作者の意気込みというか、鼻息の荒さが、そのまま出たような小説だった。もちろん、わたしに知識は乏しく、また文学はわからないのだが。
曇。雪がちらちらしている。
朝食を摂って、またふとんに潜り、今度はリチャード・パワーズ『オーバーストーリー』(邦訳2019)を読み始め、90ページほど読む。先程の小説より文体はよいが、これを読む限り、正直、パワーズという小説家の人間観の底の浅さには呆れる。高を括って、読者をナメているのか? 本書は650ページ以上もあり、わたし程度の知力と感性で、とても読み切れるとは思えないが、まあ、気が向けば挑戦してみよう。って、クズのわたくしなんかが、いったい何様?

山茶花(サザンカ)、1.27 イオンモール駐車場にて。
昼。
上記事をあとで読んでみて、やっぱりわたしに文学は鬼門だなと思う。自分、めっちゃ性格悪いじゃん。いま、パスタを食いながら NHKの「小さな旅」の録画を見て心が洗われているので(過疎地の年寄りの話ばかりの番組)、余計そう思うな。稚気愛すべしというけれど、小説家の野心とか自負とか傲慢とか無知とかその他なにやらとか、そんな稚気を許容できないほど心が狭くない筈と思いつつ、結局穢されているじゃん。まだまだやなあ、ワイ。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンの交響曲第三番 op.55 「英雄」で、指揮はリマ・スシャンスカヤ、ナショナル交響楽団(NML)。2024年の録音。リマ・スシャンスカヤはロシアのヴァイオリニストで、オイストラフの最後の弟子といい、最近では指揮もやっていると。それ以上の情報は(日本語では)ネットにあまりなさそう。
わたしは恥ずかしながら、「ナショナル交響楽団」というのもよく知らない。アメリカのオケで、日本ではワシントン・ナショナル交響楽団といわれることが多く、「ナショナル」とあるが国立オーケストラというわけではないそうである(Wikipedia)。

鳥飼茜『先生の白い嘘』(2013-2017)第8巻(最終巻)まで一気に読み切る。レイプなどによる性加害・性被害を扱った作品。わたし程度では、ちょっと言葉が出ない、たいへんな傑作(という言い方をしてよいか、わからないが)。正直いって、わたしの人生経験、あるいは想像力・思考力が足りなくて、本作については語れない。この世が地獄であることを扱っているが、いかにこの地獄を終わらせるか、最後はだいぶ救いのある終わりで、しっかりと描き切っている。
奈緒の主演で、2024年に映画化もされているが、映画化をめぐって、炎上騒ぎがあったらしい(それについてはよく知らないので書かない)。映画は U-NEXT でも観られるようだが、あまり評価はよくないようだな。
なお、本作はいってみれば「異常」な作品であり、作者は女性であるが、アマゾンのレビューを読むと、その女性に「気持ちが悪い」「共感できない」という評が少なくない。でも、それはわかる。たぶん、万人が楽しめる(?)それではない。
どうして男は女に暴力をふるうのか。もちろんその逆もないではないが、圧倒的に加害者は男性である。それは、戦時の性暴力を考えてもわかる、かなり普遍的なものである。おそらく、性からその側面を完全に取り除くことは、きわめて残念ながら、むずかしいのかも知れない。なんて人ごとのようにいっているが、正直、わたしは自分にそういう側面がないと、きっぱり断言することのできない、クズ男なのである。もちろん、すべての男がクズだとはいわない。

