母退院

晴。

早くから洗濯、風呂掃除。
老父は困った人だな。しかしこちらも対応を誤った。僕の家事にエラソーに文句をつけてきたのだが、無視していればよかったのに、つい反論してしまった。まあ老父が不愉快になったのはどうでもよいが、こちらも後味が悪かった。わたしもまだまだ修行が足りないことである。

母退院。21+17+23=61日間だったか。まさか、こんなに長くなるとは。さすがに今度は大丈夫だと思う。

スーパー。
モスバーガーのドライブスルーで昼食にする。ひさしぶりに三人で食事だ。

しばらくごろごろする。

老母に手伝ってもらいながら、というか老母の指示を受けながら調理する。夕飯は菜の花チャンプルーと、ブリの照り焼き(かな?)。ひさしぶりの「ふつうの御飯」で、こういうのが食べたかったのだなと思った。これもひさしぶりに、わたしもビール🍺を飲んで三人で乾杯。老母はさすがにまだアルコールは止めているけれど。

中沢さんと山極先生の対談本の続き。読んでいて何だか恐ろしくなってしまった。しかし、このじいさんたちは何なのだろうと思う。希望はほぼ0なのに、全然諦めていない。そして、極めて豊かである。わたしはこのところ自分の空疎さにうんざりしているけれど、こういう本を読んでいる間だけは勇気が湧いてくるのを感じる。
 山極先生の、人類は遺伝的多様性が非常に少ないという話がある。何と、人間よりも圧倒的に個体数の少ないゴリラでも、人間の十倍もの遺伝的多様性をもっているそうだ。だから、人間がかかる病気の少なからずに、類人猿は罹患しないという。それは自然淘汰されているからだが、人類は遺伝的多様性が極めて少ないのに個体数は数十億もあるから、生存に不利な遺伝子をいっぱい抱えているのだ。現生人類には、亜種すらないのである。よくは知らないが、現在のパンデミックもそういうことと関係があるのだろうか。もっともまあそれはどうでもいいので、人間は「文化的多様性」を作り出す方向に向かったのだけれど、現在、「文化的多様性」もどんどんなくなってきていて、ネットで接続された世界にあって「文化的多様性」は急速に縮減し、世界が文化的に均質化しつつある。これは、大きな変化に対し人類が生物学的にも、文化的にも弱いことを意味する。わたしは、人類が滅亡するとしたら、数百年単位の極めて短い時間の中でそれが起きてもまったく驚かないのである(尤もそうなると、驚かないというわたし自身が既に存在しないわけだが)。
 まあ、わたくしのごときがこんなことを考えても意味はないのだが、まいいんじゃねとか思っている。

未来のルーシー ―人類史のその先へ―

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