ハンナ・アーレント『活動的生』

日曜日。晴。酷暑。夕方驟雨。
夕方まで仕事。これから八月の下旬まで、仕事はひとまずお休み。

図書館から借りてきた、ハンナ・アーレント『活動的生』読了。森一郎訳。英語版『人間の条件』のドイツ語版。『人間の条件』の(他人による)独訳に、アーレントが大量に補筆して出版されたものらしい。自分にはアーレントは高級すぎるのだが、まずは読まざるを得ない。といっても、それほどアーレントは好きではないのだが。この人は豪速球をもっているのに、変化球を多投する。それに、この人にはたぶん大衆を見下しているところがあるように思われる。彼女はさすがにハイデガーが恋人にしただけあって、確かに圧倒的な学識と思索力をもっており、他人がバカに見えたのは無理もないだろうけれど。『イェルサレムアイヒマン』で、失わなくてもよい友人たちを大量に失ったように、どうして彼女は、こんな皮肉っぽい書き方(わかる人にしかわからないように書いてあるが)をするのだろうな。彼女のような人間が当然としていた世界が滅びてしまったのはまちがいないわけではあるが。

活動的生

活動的生

僕にアーレントがわからないという前提で言うのだが、アーレントの言及する科学技術にせよコンピュータにせよ、本格的に物理学やプログラミングを勉強していない人間がいかにも言いそうな臆断に満ちているので、そこは買えないのである。さすがに明敏な人なので、あまり外したことは言っていないのだが、何というか知らない者の傲慢が見えるのだ。人は知らないことに関するほど傲慢になる。