E.M.フォースター『ハワーズ・エンド』

曇のち雨。
無意味に夜更しして朝寝坊。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第三番 K.281(ピリス、参照)。■ハイドン交響曲第百三番変ホ長調 (ヨッフム参照)。いわゆる「太鼓連打」。ハイドンはもちろん日常的に聴いてきた作曲家であるが、ようやくわかってきた気がする。すごくいい。ヨッフムハイドンがぴったり。LPO も好演。ロンドンのオケって軽く見がちなのだが。

図書館から借りてきた、E.M.フォースターハワーズ・エンド』読了。吉田健一訳。読み終えて読んでよかったとは思ったが、全体の九割くらいは非常に不愉快な気分で読んだ。退屈だし、そもそも、人生を描いた小説は苦手なのである。本書は、ガサツな事業家と繊細でものの何でもわかった「高等遊民」が、よりによって夫婦としてやっていけるのかというのが主題だとしてよいであろう。フォースター三十一歳の時の代表作であるが、そんな若造のような歳で、かかる老成した小説が書けるとは驚きではある。最後、ガサツな事業家は打ちのめされ、高等遊民の「勝利」で終わるところは確かにカタルシスを覚えて、ひどい小説の読み方であると我ながら思った。しかし、編者みたいに小説に「人間は分かりあえるか」というようなものを読み込むのは、自分はどうも苦手なのだ。「人間は分かりあえるか」なんて、そんなこと原理的には無理だし、しかしそれに向かって努力するという以外のものではないではないか。しかしまあ、この小説が傑作かと問われれば、そう言ってもいいのであろう。そのうち『インドへの道』も読んでみようと思っている。

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

なお、題名の「ハワーズ・エンド」というのは館の名前であり、土地の「精霊」の力の話にもなっているが、自分はそこに関してはそれほど説得されなかった。まあ、自分がイギリスの大屋敷に無知なせいもあるだろう。ブッデンブローク家の方が、あれは館の話ではないが、よほど印象に残っている。
 それから、レオナードが破滅したのは、本当にヘンリーだけのせいなのだろうか。マーガレットやヘレンに、責任はないのであろうか。いや、ヘレンはそれに自責の念を覚えたからこそ、ああいうことになったのであろう。そしてそれは、結果論だが最悪の結果になった。そしてヘレンは最後、レオナードのことを忘れていく。ふーむ。どういう人たちですかという気もする。
 どうでもいいけれど、『天使も踏むを恐れるところ』というのは(日本語の)題がいいですね。解説で『天使が恐れて足を踏み入れないところ』ってゆーのは、ちょっとないんじゃない?