ベルクソン『物質と記憶』

曇。
かつてのトラウマの夢を見る。過去とは少しちがった展開。目が覚めて吟味してみると、かつての自分にこれを解決するのはむずかしかったかもと思う。いまでは問題は過去のものなので、きっちり解決しておきたい。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第一番 K.279、第二番 K.280(ピリス、参照)。クリア・カットなピアノ。■C.P.E.バッハプロイセンソナタ第五番ハ長調 H.28 (アスペレン、参照)。■■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 (タカーチQ、参照)。タカーチQ一世一代の名演。感動しました。この曲はもちろんベートーヴェンの最高傑作のひとつである。第一楽章冒頭の奇妙な主題から展開される音のドラマを堪能して欲しい。■バッハ:無伴奏フルートのためのパルティーイ短調 BWV1013 (ランパル参照)。

You Tube はひとつ動画を見終わると関連動画が自動的に始まるので、永遠に音楽を聴いていられるという恐ろしいことになっている。で、バッハの管弦楽組曲第三番を何となく聴いていたら、ポピュラー曲のエア(いわゆる「G線上のアリア」)で不覚にも感動してしまった。ちなみにこれ、ヴァイオリンの G線一本で弾こうと思えば弾けるということで、実際に G線だけで演奏しているわけではないと思う。このコープマンの演奏(参照)自体は、ちょっと乱暴(やたらティンパニがドコドコやっているし)であまり感心しないのだが。それから You Tube の音質だが、たいていは期待しないほうがいいと思う。まずまずというところ。ポビュラー音楽だとさほど気にならないけれど。

ベルクソン物質と記憶』読了。熊野純彦による新訳。まさしく驚くべき書である。前にもちょっと書いたが、本書は「記憶」という訳語に関して、メモワールとスヴニールをきちんと区別している。過去の翻訳がどうだったかまったく覚えていないが、この区別は本質的である。そして、ベルクソンに特徴的なのは、後者なのだ。スヴニールは脳に蓄積されていないとベルクソンは書く。例えば脳の傷害により、記憶が失われることはある。しかしそれは、スヴニールのことではなく、決してスヴニールは失われない。そこまではベルクソンは書いていないが、恐らくそれは、スヴニールを引き出す脳の機能が失われただけのことである。また、脳の変容によっても、スヴニールは変更されない。それは、言われてみれば明らかなことであるように思われる。
 ベルクソンはここで、心身二元論者として振舞っている。今の脳科学は、精神は物質によって作り出されるという、唯物論が基盤になっている。精神は、物質の状態によってすべて決定されると考えられている。ここでは、ベルクソンの受け入れられる余地はない。その帰結として、精神の自由が否定されることは自然である。ここで単純な疑問を投げかけておくが、それはどこかおかしいのではないか。そこには矛盾があるように、自分には思われる。まだ、ベルクソンの態度の方が「科学的」にすら見える。ベルクソンは、何もないところから、議論を紡ぎ出しているのではない。しっかりとした失語症の研究がその土台になっており、そう簡単に無視できるようなものとは思えない。少なくとも自分には、本書は最重要の哲学書のひとつだと見做される。そしてそれは、ドゥルーズにもそうであったと付け加えておこう。


そう云えば重力波が観測されたということだな。ようやくかという感じで、特に驚きはない。というか、重力波が存在しなかったら一般相対性理論が間違っているということだから、そっちだったらよほど問題である。この観測の成功によって、事態が大きく変わることはない。これからは、測定の質が問題になってくるということだろう。

物理の教科書を読まずに物理学がわかっていると云えば笑い者だろうが、それが経済学だと、経済学の教科書すら読んだことがないのに自信満々で経済を語る方が多くて驚かされる。別に大衆が何を言おうがかまわないが、ジャーナリストがそういうことでいいのだろうか。今日も報道ステーションを見ていたら、日銀のマイナス金利をボロクソに言っていたけれど、僕にはその理由が理解できなかった(出てきた大学の先生の言っていることもバカバカしく感じた)。まあ僕もどうしようもない素人ですけれどね。マイナス金利が銀行の体力を奪って、で株価が下がったんだって。へー、そうなんですか。アホくさ。だいたい、株価の上がり下がりなんて、多くの説明は眉唾ものであると思ったほうがよい。その説明がしっかりつくなら、テレビに出演するより株で一財産作れますよ(だから、株の上がり下がりの説明なんぞをつけている奴は、たいていが偽物である)。そう思うと、実際に株で儲けたケインズはさすがだったなあ。どうでもいいけれど。