栗田子郎『進化生物学入門』/中西進『万葉の秀歌』/鈴木大拙『禅の見方・禅の修行』

休日。晴。
また寝過ぎ。
栗田子郎『進化生物学入門』読了。第一章は、宇宙の始まりからヒトの誕生まで。七三頁で描き切るには、対象が膨大すぎる。第二章は、「種の問題」。「種」とは何か、そもそも「種」というのは存在するのか、という話。面白いのだが、一般向けとすれば、記述が専門的すぎるようにも感じる。いわゆる「不稔性」が「種」を判断する基準になる(いわゆる「生物学的種」)というのがオーソドックスな見方だろうが、これだけですべて尽くせるものではないことも確かだ、ということ。第三章は、「霊長類の系統と進化」。よく知らない「サル」の話が詳細に延々と続くのにはちょっと閉口させられるが、さすがに「ヒト」の誕生についての話は面白かった。これに関しては、もう少し勉強してみたくなった。
 全体的に、細部が精緻なのはいいのだが、結局纏めとして何が言いたいのかわからない印象。専門書でもないだろうし(専門書なら第一章は不要)、一般向けとしては不親切に感じる。「進化」についての本だというのだが、「自然淘汰」や「突然変異」などという概念を解説した本ではない。一般読者は、「適応放散」がどうとか突然に云われても、何のことかわからない人が多いのではないか。

中西進『万葉の秀歌』読了。万葉集は以前から読んでみたかったが、量が膨大なのでなかなか取り掛かれなかった。本書は碩学の手引きで万葉集(からの抜粋)が読める、ありがたい本である。こうしてわかりやすい解説があれば、万葉集と云えど(?)日本語なので、ちゃんと読めてしまう。これほど古い文献が母国語で読める文化というのは、世界的に見てもめずらしいだろう。これもありがたい話である。
万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

図書館から借りてきた、鈴木大拙『禅の見方・禅の修行』読了。世の中に遍く横行している偽物の仏教書を読むくらいなら、大拙を読むべきだろう。仏教は単なる認識論でも、哲学でもない。仏教は宗教であり、その根底は釈迦の得た「阿耨多羅三藐三菩提」に尽きる。これを外した仏教は、じつは仏教でない。著者はそれを力説する。
禅の見方・禅の修行 (新版 鈴木大拙禅選集)

禅の見方・禅の修行 (新版 鈴木大拙禅選集)


アルゲリッチラヴェル・アルバムを聴く。曲はピアノ協奏曲、夜のガスパールソナチネ、高雅にして感傷的なワルツ、水の戯れ。どれも素晴らしかった。ピアノ協奏曲の第二楽章では、あまりに美しすぎて、涙腺が緩んできて仕方がなかったくらい。しかし、ラヴェルにしては何という感傷的な曲か。夜のガスパールの「絞首台」は、まるでドビュッシーのよう。ソナチネも「高雅にして」も好きな曲で、充分満足の演奏だった。六〇年代、七〇年代のアルゲリッチは本当に凄い。
ラヴェル:ピアノ協奏曲

ラヴェル:ピアノ協奏曲

マーラーの「大地の歌」を聴く。エリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団

荻原魚雷さんが、ブログで「全世界が融合するという未来はうまくイメージできない。でもその方向はまちがっていない気がする」と書いておられた。「全世界の融合」とは、世界が「欧米化」「英語化」することである可能性が高いが、荻原さんはそういうことに賛成なのだろうか。或いは、かかる仕方でなく「全世界が融合」できるという、ヴィジョンを持っておられるのだろうか。揚げ足取りのつもりでこう書くのではありません。自分の問題意識として、気になるところなので。

最近の韓国や中国は、日本に対し憎しみ以外のものをぶつけてきたことがない。日本が過去にやったことは確かに酷かったにせよ、こういう態度では、日本人も憎しみで応えるのは別に不思議ではないだろう。双方共に愚かなことである。個人的には、日本人は大人の対応をすべきだと思うが、日本人も幼稚化しているから、かかる態度でいられるかどうかは、なかなかむずかしいのではないか。世界が憎悪に塗れていく…