町田康『真実真正日記』/檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』/井筒俊彦『神秘哲学 ギリシアの部』

晴。
風邪おさまらず。体の調子は良くなったが、味覚がおかしくなったり、鼻水が出たり。
体調が悪いとどうしても気がふさぐので、町田康真実真正日記』を読む。町田の笑いのパワーを分けてもらおうと思ったのだが、まあ笑えるのだが、暗くていじいじした文体。お、新境地だと思う。やはり天才。でも、僕の体調は?

真実真正日記 (講談社文庫)

真実真正日記 (講談社文庫)

檜垣立哉西田幾多郎の生命哲学』読了。興奮。原本の新書も読んでいるのだが、途中まで気付かなかった。本というものは、読む時期によって読み取り方がまったく異なるということを痛感させられる。西田にせよベルクソンにせよドゥルーズにせよ、とても勉強になった。ここから現代の生物学と相補的な、新たな生命哲学が可能かも知れないという予感がする。直接に与えられるものが直感、すなわち内包だというのは、これは素晴らしい考えに違いない。本書のいちばんのキーワードが、この「内包」であろう。それはともかく、本書は、とてもオリジナリティがあって、しかも重要な西田の読み方を提示したと思う。
 しかし、巻末対談の小泉義之は何だろうね。「場所」はヒルベルト空間だとか、「永遠の今」はデデキントの切断だとか(切断は畳み込みか?)、自分にはとてもそうは思えないのだが。「場所」については量子論における場の理論(「場の量子論」のこと?)の概念化だとも云っているが、電磁場だって自己作用場だから、わざわざ量子場といわなくてもいいと思うのだが。量子場はきわめて面倒臭いものだから、確信がないかぎり比喩として使わない方がいいのではないだろうか。
 それから、田辺元の有名な西田批判が本書にも登場するから、最近岩波文庫に入った田辺選集に、この論文が収録されていないのはどういうものかと思う。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫)

井筒俊彦『神秘哲学 ギリシアの部』を、付録「ギリシアの自然神秘主義」も含め、読了。年齢のことをいうのは幼稚くさいかもしれないが、この「付録」、著者二十五歳の執筆にかかるとは。しかも驚くべき内容である。命を吹き込まれた学問とは、こういうものかと思わせる。(だから、慎重な「実証」で言いがかりをつけることは、チンピラにも可能かも知れないが。)文体は華麗と称したくなるようなもので、いかにも若さあふれる天才の作だ。こうなると、欧文著作が読みたくてたまらなくなってくる。誰か訳してくれないかな…
神秘哲学―ギリシアの部

神秘哲学―ギリシアの部

風邪が治っていないのに、こんなことをしていては。うう。

えらくロマンチックな三日月だな。稲垣足穂みたいだ…