ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて(下)』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus IV, V, VI a 4 in Stylo Francese, VII a 4 per Augmentationem et Diminutionem, VIII a 3, Canon III alla Decima in Contrapunto alla Terza, alla Ottava で、ピアノはセリメーヌ・ドーデ(NMLCD)。■モーツァルトクラリネット協奏曲 K.622 で、クラリネットはチャールズ・ナイディック、オルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。


図書館から借りてきた、ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて(下)』読了。読み終えて何をブログに書こうかなと思ったが、正直なところ自分の論評能力を超えた大変な力作であるという他ない。深い感銘を以て読み終えた。つまるところ、アメリカの凄さは学問だなという感じがある。アメリカ人にここまで日本のことが書けるのだなというのは、驚きというか、その目配りの広さと妥当性を考えるとそのような言葉では不十分なくらいだろう。わたしが本書を読み終えてさてさらに読むとしたらと思ったところでは、まずは日中戦争から敗戦まで、十五年間にわたる戦争全体を視野に入れた良質の本が読みたくなった。そのような本はおそらく存在するのだろうが、具体的な対象がわたしには思い当たらない。探してみたいものである。あともうひとつは、敗戦後の日本の(経済)発展と、その終焉についてである。本書における結論は、日本の経済発展を可能にしたのは「日本と占領軍のハイブリッド・システム」のようなものであると総括されており、また戦時体制からの「正の遺産」も忘れられていないが、そのあたりはもう少し突っ込んで知りたいところである。ただ、これについてはコンパクトな本はいまだ存在しないかもしれない。そしてわたしの世代に関係するところはいわゆる「日本経済の没落」であり、わたしが育ってきた八十年代は日本の発展はその頂点にあって、その当時は日本の国際的地位が将来これほど地盤沈下するとはつゆ思われておらず、我々の世代はその達成に有頂天になって遊び呆けていた。個人的なことだが、わたしは学生時代その有り様に強い危機感を抱いていたが、結局これまでそれに対し何ひとつすることができなかったのである。わたしが自分で納得したいのはそんな意味合いもある。なんか話がそれたが、本書は強い印象の残る本だった。若い人たち、大学生くらいなら読めると思うから、是非勧めたい。

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

なお、上でわたしは自分の世代に対して否定的なことを書いたが、それは一個人による狭い範囲の見聞である。わたしの世代がバカみたいに遊び呆けて勉強しなかったのはおおよそ真実であり、広く妥当すると思うが、例外もおそらくはいただろうし、そもそもそれが没落の原因かは軽々には断定しがたい(客観的に見ると、我々の世代は没落に際してなすすべもなく呆然としている世代な気もする)。いずれにせよこれからこの没落=「日本病」の原因はこぞって探求され、様々な意見が出てくるだろう、というかそれは既に始まっている。わたしもまた、自分なりの納得がしたいのだ。

こともなし

晴。
庶民的というか野蛮で土俗的な夢を見る。わたしにもプリミティブなところは残っているのだなと思う。庶民的なわたしは意外とハードボイルドだ。じゃあ、庶民的でないわたしは? 知らねーよ、そんなこと。

寝る。

午後、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。今日は家族の分のドーナツも買った。『敗北を抱きしめて』の続き。第四部まで読了。なかなか読み進みませんね。でもおもしろい。戦後の CCD (民間検閲部)による検閲はひどいものだったのだな。気まぐれで神経質で原則もなければ、検閲の存在すら抹消しようとした。そして、自己検閲に誘導する悪質さ。とても民主主義によるものとはいえず、本書では「検閲民主主義」という皮肉っぽい表現が使われている。まさにアメリカの恥といわざるを得まい。江藤淳が問題にして『閉ざされた言語空間』を書いた筈である。


日没前、散歩。
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ぱおーん。
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今年は彼岸花があまり咲いていない。夏が暑すぎたからか知らん。
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NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第三番「英雄」 op.55 で、指揮はエサ=ペッカ・サロネンシンフォニアグランジュ・オ・ラック(NML)。さすがはサロネン

Beethoven: Symphony No. 3 "Eroica" - Strauss: Metamorphosen

Beethoven: Symphony No. 3 "Eroica" - Strauss: Metamorphosen

  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: MP3 ダウンロード
■デュティユーの「夜はかくの如し」で、演奏はオルティス四重奏団(NML)。
Dutilleux / Rappaz / Ligeti: String Quartets

Dutilleux / Rappaz / Ligeti: String Quartets

  • アーティスト:Ortys Quartett
  • 出版社/メーカー: MGB
  • 発売日: 2016/11/18
  • メディア: CD
ブラームスのピアノ四重奏曲第二番 op.26 で、演奏はエリゼーン四重奏団(NMLCD)。すばらしい演奏。この曲はリヒテルのピアノ+ボロディン四重奏団の録音で何度も聴いてきたが、それとはちがった名演だ。こういう演奏だと、傑作揃いのブラームス室内楽の中でもこの曲がトップクラスの出来だということがよくわかる。感動しました。


「この子を冷笑するクズな大人たち」というツイートがあったけれど、僕はまあ冷笑するつもりはないけれど、あーあって感じ。もうすぐ家族で旅行に行く予定だけれど、(地球温暖化を促進する)飛行機とか使って旅行なんてする奴はクズという文章をネットで読んで、ほんとあーあって感じ。わたしは意識低い系らしいのだよね。

自分がまちがっていることはわかっているけれど、僕はこの子は好きになれないな、何となく、感情的に。しかしまあ、世界を変えるとかそんなものか。正義の味方は自分みたいなクズとは人間の出来がちがうわな。最後に正義は勝つ。

地球温暖化が問題なのはまちがいない。では、具体的に我々に何が出来るのだろう。飛行機を使わない? 自動車を使わない? エアコンはいいの? パソコン、スマホはいいの? そもそもクズの存在が地球温暖化に悪いから、抹殺すべきとかならないよね?

ガタリの『三つのエコロジー』には何が書いてあったっけ。読み直してみるか。


それにしても、つくづくネットってかなわんな。ネット見るのも気が滅入るし、ブログを書くのも気が滅入る。じゃあ書かなきゃいいじゃんって、そうだなあ…煩悩だよなあ…

彼女の演説を何回か聴いてみて、「お金の話ばかり! 永遠の経済成長とか、おとぎ話ばかりして!」という糾弾は、やはりまちがっているように思える。まじめに地球温暖化の問題を考えるからこそ、「お金」の問題で苦労しているのだ。「持続可能な経済成長」というのも、どうしても必要なのである。そうしないと、そういう過程で実際に貧乏人が死ぬのだ。彼女のような裕福な階層の人間は、経済成長がなくとも死なないが。確かに資本主義が詰んでいるといえばそうだが、我々は他に選択の余地が(いまのところ)ない。

それから、彼女の言っているとおり、「彼女を利用している人間は恥を知れ」というのは正しい。なぜそういいつつ彼女が甘んじて利用されているのかは、わたしにはよくわからないが。

結局、彼女のいいたいのは「市場主義経済はダメ」ということになるのだろうか。そうなると、自分は彼女を支持できなくなる。それとも、彼女の中にはうまい逆転満塁ホームランがあるのだろうか。これこそ、クズな大人の屁理屈?

しかし、若い人たちが「大人はまったくダメ」というからには、何か大人たちを驚かす秘策があるのだろう。凡庸な大人たちは、子供たちが秘策を発揮してくれるまで、大人たちで地道に考えていくしかない。優秀な子供たちを持って、世界の未来は明るい筈だ。かかる明るい未来が到来すれば、結果的に我々が若い人たちから罵倒されるのは当然であろう。

こともなし

休日(秋分の日)。雨。台風のせいで蒸し暑い。
等身大の自分に近い夢を見る。こういうのもめずらしい。なんか、北陸の古本屋に行ったりしていた。

NML で音楽を聴く。■ブラームスクラリネット三重奏曲 op.114 で、クラリネットはアレクサンドル・ベデンコ、チェロはキリル・ズロトニコフ、ピアノはイタマール・ゴランNML)。

■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus I, II, III で、ピアノはセリメーヌ・ドーデ(NML)。

L'art De La Fugue

L'art De La Fugue

  • アーティスト:J.S. Bach
  • 出版社/メーカー: Imports
  • 発売日: 2013/07/02
  • メディア: CD
 
午前中、甥っ子の勉強を見る。
妹一家来訪。皆んなでご飯を食べて少し話して帰っていった。子育てマジでむずかしすぎる。それに、わたしから見るといまの子供たちの闇は深いな。逆に子供たちからすると、わたしのようなおっさんの闇が深いということになるのだろうが。まあ、わたしなどにエラそうにいえる資格は何もない。


日没前、一時間ほど散歩。
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ついでにお墓参りもしてきた。


アニメというのは人工世界の構築の一種だな。それはいまや自律性をもって拡大しつつあり、その作法に魅力を感じる感受性をもった人間たちが「オタク」だといえるのかも知れない。その感性は一般的になり、いまや「現実世界」(そのようなものがあるとしてだが)を変えようとしている。たぶん、それはもはや止めようがないし、もちろん止めることが正しいとア・プリオリに決定することはできない。ただし、おそらくわたしはそのような作法を身に付けることがついに不可能だということだ。端的にいって時代遅れとはそのことである。

まあ、クソ面倒なことを言っていないでアニメを見たらいいんですよ、つべこべ言わないでね。

マンガとかゲームその他もその系を構成しているということは申すまでもないだろう。

國分功一郎さんの『原子力時代における哲学』を読み始めた。とりあえず第一講を読んだが、非常におもしろい。まずは導入だから日本への原子力発電導入の歴史など、雑多な話もなされるし、アレント原子力についての考えもまとめてある。國分さんが調べたところ、核兵器について発言している哲学者は多いが、原子力発電について発言している人はほとんどいないそうだ。アレントは少し触れているだけだそうだが、これでも貴重な存在なのだという。しかし、例外、それも超大物がいて、それがハイデッガーだというのだ。本書の残りは、どうやらそのハイデッガーの議論をもとに、話が進められていくらしい。ざっと見たところ最後には中沢さんへの批判などもあるようで、非常に楽しみである。それにしても1950年代では「原子力の平和利用」という欺瞞はじつはとても魅力的だったようで、武谷三男大江健三郎といった人たちまで、「原子力の平和利用」の積極的賛美者だったというのがおもしろい。で、例の正力松太郎ね。まったく生臭い話である。
 しかし國分さん、自分はもう國分さんを積極的にフォローするつもりはないのだけれど、やはりこの人は能力が非常に高い上に、むずかしいことをわかりやすく魅力的に語る才能がある。若い哲学者の中では、まことに頼もしい存在だ。

稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』

日曜日。曇。
キッチュでヤンキーな夢を延々と見る。フルカラー。我ながらよくわからぬ無意識だなあ。おもしろかったけれど。

ネットを見ていてイヤな気分になる。
二度寝。一日二十四時間寝ていたい感じ。退行。硬直化。


稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』読了。

いわゆる bot の著者の理解(p.152-155)はまちがっているのではないかな。bot は個々のコンピュータ内で自律的に動くコンピュータ・ウィルスとはちがって、サーバ上に置かれたプログラム(クローラー)がスクレイピングしているだけだと思うのだけれど。まあ自分にはどうでもよいことだが、本書の展開にはどうでもよいまちがいとはいえないかも知れない。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三番 op.2-3 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。■パレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ曲」で、指揮はマッシモ・パロムベッラ、システィーナ礼拝堂合唱団(NML)。

MISSA PAPAE MARCELLI &..

MISSA PAPAE MARCELLI &..

 
雨。
珈琲工房ひぐち北一色店。おいしいコーヒーで多少気が晴れた。『敗北を抱きしめて』の続き。新憲法制定の過程はどの本を読んでも複雑だが(かつて読んだ古関彰一『日本国憲法の誕生』はおもしろかった)、本書はコンパクトによくまとまっている。本書の記述はどこを読んでもバランスがよいので、若い人が読むのにちょうどよい本なのではないか。

マルセー・ルドゥレダ『ダイヤモンド広場』

昧爽起床。涼しい。

暗い部屋で寝転がりながらいろいろ考えるともなく考えていた。ぼーっとしているときは冥いこととか一切思わないのだが。
本を読んでいると、あるいはネットを見ていると、世の中秀才ばかりで困るという感じ。まあ秀才の本はあまり読まないようにはしているのだけれど。


マルセー・ルドゥレダ『ダイヤモンド広場』読了。かなしい小説だった。「スペイン内戦に翻弄される女性の至上の愛の物語」とか、惹句的に語るとよいのだろうけれども、わたしは非常に単純に、エンタメのように読んだという不届き者である。確かに最後ヒロインはシンプルな幸せを得るが、自分にはほとんどハッピーエンドとは思えない。自分はエンタメはハッピーエンドでないといけないという、三島由紀夫と同じ考え方の持ち主なので、つらい小説だった。もちろん、本書をエンタメと見做すのはわかっていない証拠であろう。ごめんなさい。

ダイヤモンド広場 (岩波文庫)

ダイヤモンド広場 (岩波文庫)

惹句によると、本書は「現代カタルーニャ文学の至宝」なのだそうである。

アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』

晴。涼しい。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのディヴェルティメント第十一番 K.251 で、演奏はオルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。■シュニトケの弦楽三重奏曲で、演奏はトリオ・リリコ(NMLCD)。トリオ・リリコ、なかなかだな。■バッハの「ゴルトベルク変奏曲」 BWV988 で、ピアノはリリア・ボヤディエヴァNML)。凡庸だけれども、つい聴いてしまった。まあ悪くないのだろうけれどな。しかし、冴えた演奏しか聴かないというのもナニな気がする。

J.S. Bach: Goldberg Variations, BWV 988

J.S. Bach: Goldberg Variations, BWV 988

  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
昼寝。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルフレンチブレンドコーヒー410円。『敗北を抱きしめて』の下巻に入る。天皇制の話。わたしはこれまでの知見から昭和天皇に戦争責任はふつうにあると思っているが、まあ素人の印象だ。そもそもこれは学問的に決着がつく問題なのか、わたしは知らない。ただ、昭和天皇を戦争責任をもって処刑し、天皇制をそこで終わらせるべきだったかについては、あまり考えたことがない。わたしは現上皇に関しては悪印象をもっていないが、そして現天皇についてはほとんど印象をもっていないが、やはり天皇制は廃止すべきなのではないかと漠然と思っている。それはともかく、わたしは昭和天皇についてははっきりと悪印象に近い感じをもっている。この天皇は優秀であったが、かなり自分勝手でトボけた人物で、まあ食えないというか、強い言葉でいえばかなりの「ウソつき」だったことを確信している。本書を読んでも、その印象は微塵も変わることがない。昭和天皇は「国民の統合の象徴」どころか、敗戦後も密かに積極的に政治的に動いた人物であった。「自分は理系なので、戦争責任のような文系的なことはわからない」とか、よく言うよという感じである。もちろん昭和天皇は、戦争責任というのがどういうことか、よく知っていたのである。マッカーサー天皇の戦争責任を問わず、天皇制を存続させて日本の戦後統治に昭和天皇を利用すると考えたことは、昭和天皇に幸いであった。


日没前、ドラッグストアまで散歩。
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アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』再読了。なるほど、前回読んだとき本書の感想が書けなかったのがわかった。今回も書けない。著者と自分は、微妙に合わないのである。それは、著者が正しく、自分がまちがっているから。著者は(わたしのそれのごとき)「諦念」を徹底的に糾弾する。未来は閉ざされていない、希望はあると、わたしとは比較にならない厳しい状況下で喝破する。わたしの頭でっかちな、お気楽な生活の中で成長した「諦念」など、じつに下らないものだ。でも、わたし個人には、やはりその「諦念」はどうでもよいものではない。わたしだって完全にあきらめてしまったわけではないが、ほぼ無理だと思っているのも確かだ。ああ、こんな個人的などうでもいいことを書いてイヤになるよ。

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

しかし思うが、わたしのようなだらしのない人間に受け入れられない解は、決して最終的な勝利を得ることはないのではないか。ふつうの人間のふつうの生活は、英雄的なものではなく、もっとだらしなく下らないものなのだし、それでよいのだとわたしは思っている。

まったく、辛気くさくて気がくさくさする。クソマジメは死すべし。

斎藤慶典を読む。青空を見たことがないのに文献だけで青空を語る人が多いな。ま、わたしごときクソが何をか言わん。