こともなし

休日(秋分の日)。雨。台風のせいで蒸し暑い。
等身大の自分に近い夢を見る。こういうのもめずらしい。なんか、北陸の古本屋に行ったりしていた。

NML で音楽を聴く。■ブラームスクラリネット三重奏曲 op.114 で、クラリネットはアレクサンドル・ベデンコ、チェロはキリル・ズロトニコフ、ピアノはイタマール・ゴランNML)。

■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus I, II, III で、ピアノはセリメーヌ・ドーデ(NML)。

L'art De La Fugue

L'art De La Fugue

 
午前中、甥っ子の勉強を見る。
妹一家来訪。皆んなでご飯を食べて少し話して帰っていった。子育てマジでむずかしすぎる。それに、わたしから見るといまの子供たちの闇は深いな。逆に子供たちからすると、わたしのようなおっさんの闇が深いということになるのだろうが。まあ、わたしなどにエラそうにいえる資格は何もない。


日没前、一時間ほど散歩。
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ついでにお墓参りもしてきた。


アニメというのは人工世界の構築の一種だな。それはいまや自律性をもって拡大しつつあり、その作法に魅力を感じる感受性をもった人間たちが「オタク」だといえるのかも知れない。その感性は一般的になり、いまや「現実世界」(そのようなものがあるとしてだが)を変えようとしている。たぶん、それはもはや止めようがないし、もちろん止めることが正しいとア・プリオリに決定することはできない。ただし、おそらくわたしはそのような作法を身に付けることがついに不可能だということだ。端的にいって時代遅れとはそのことである。

まあ、クソ面倒なことを言っていないでアニメを見たらいいんですよ、つべこべ言わないでね。

マンガとかゲームその他もその系を構成しているということは申すまでもないだろう。

國分功一郎さんの『原子力時代における哲学』を読み始めた。とりあえず第一講を読んだが、非常におもしろい。まずは導入だから日本への原子力発電導入の歴史など、雑多な話もなされるし、アレント原子力についての考えもまとめてある。國分さんが調べたところ、核兵器について発言している哲学者は多いが、原子力発電について発言している人はほとんどいないそうだ。アレントは少し触れているだけだそうだが、これでも貴重な存在なのだという。しかし、例外、それも超大物がいて、それがハイデッガーだというのだ。本書の残りは、どうやらそのハイデッガーの議論をもとに、話が進められていくらしい。ざっと見たところ最後には中沢さんへの批判などもあるようで、非常に楽しみである。それにしても1950年代では「原子力の平和利用」という欺瞞はじつはとても魅力的だったようで、武谷三男大江健三郎といった人たちまで、「原子力の平和利用」の積極的賛美者だったというのがおもしろい。で、例の正力松太郎ね。まったく生臭い話である。
 しかし國分さん、自分はもう國分さんを積極的にフォローするつもりはないのだけれど、やはりこの人は能力が非常に高い上に、むずかしいことをわかりやすく魅力的に語る才能がある。若い哲学者の中では、まことに頼もしい存在だ。