『小林秀雄 江藤淳 全対話』

曇。

午前中、甥っ子の勉強を見る。

昼から雨。
小林秀雄 江藤淳 全対話』を読む。僕は出発点が小林秀雄であるというどうしようもなくアナクロな人間なわけであるが、いま読んでも相変わらず強い力で小林秀雄が自分を捕らえることに驚く。で、あらためて自分はこんな下らないものを書いていてどうしようもないなとつくづく思った。まあブログなどかつて2ちゃんねるなどでいわれていた「チラシの裏」なんだから下らないことでも書いたって構わないといえばそうなのだが。それにもうひとつ、こんなアナクロな時代遅れの人間が書いてどうだという気もつくづくする。考えてみると、小林秀雄というのは書かない人だった。旧全集版で、たった十三冊しかない。一冊一冊も『本居宣長』を除けば、それほどぶ厚いものではない。それが、どんな文学者の全集より売れたというのは、いまから思うとどういうことだったのだろうと。わたしだって、最初に買った全集が小林秀雄だったのだ。しかし、ほんとアナクロ、時代遅れ。
 江藤淳もおもしろいし、いつ読んでもすごい才能だと思うが、ここでは小林秀雄に少し遠慮しているように見える。まだ、吉本さんとの対談集の方が江藤らしい。ただ、わたしには江藤はあんまりにもクソマジメすぎるのがつらい。パセティックなものを覚えるくらいである。ある意味では、自分には文学=江藤という感じがするところもあるのだが。

 
小林秀雄 江藤淳 全対話』読了。こういうのを読むと、いかにもいまの言葉というか文章というかは薄味で死んでいるという感じがするな。まあ天に唾する言だが。時代である。

NML で音楽を聴く。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 ~ Contrapunctus XIII a 3 inversus, XIIIb a 3 inversus (version 2), XIX (Fuga a 3 soggetti), XXI, XXII で、チェンバロはピーター=ヤン・ベルダー、ヘラルト・デ・ヴィト(NMLCD)。■シェーンベルクの弦楽三重奏曲 op.45 で、ヴァイオリンはヴァルター・レヴィン、ヴィオラはペーター・カムニツァー、チェロはリー・ファイザーNMLCD)。■ブラームスのピアノ四重奏曲第一番 op.25 で、演奏はエリゼーン四重奏団(NML)。終楽章の迫力がマジですごかった。自分は度し難いロマン派だ。

Brahms: Integrale Des Quatuors Pour

Brahms: Integrale Des Quatuors Pour

 
早寝。