アミン・マアルーフ『世界の混乱』

曇。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二番 op.2-2 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。■ミェチスワフ・ヴァインベルク(1919-1996)の弦楽三重奏曲 op.48 で、演奏はトリオ・リリコ(NML)。トリオ・リリコってのはなかなかよい感じだな。

String Trios

String Trios

■ペンデレツキの弦楽三重奏曲で、演奏はトリオ・リリコ(NML)。


昼から県図書館。肉屋。スーパー。

夕方、一時間以上散歩。
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アミン・マアルーフ『世界の混乱』読了。読み終えてどう感想を書いたらよいかわからない。著者の本は本書以外に『アイデンティティが人を殺す』を読んでいるようだが、それもどう感想を書いたらよいかわからなかったようで、ブログには読了の事実しか書いていない。おそらくそれに倣った方が賢明であろうが、正直言ってわたしは『アイデンティティが人を殺す』の感想が書いてなかったのを残念に思っている。ので、少しでも何か書けるかやってみる。
 著者はレバノン生まれのキリスト教徒というマイノリティの出身で、祖国の内乱のためにパリに移住し、現在ではフランス語で執筆活動をしているようである。ちくま学芸文庫には上記二冊の他、『アラブが見た十字軍』(未読)が収められている。さて、本書を何と説明したものか。とりあえずわたしは本書から、現在のアラブ人から見た世界観を啓蒙された。しかし本書はそれに留まるものではない。わたしはまた本書から、現在の世界がいかに「絶望的な」状況にあるか、納得させられざるを得なかった。こんなことをわたしが書いても絶対に他人に伝わらないと思うが、現在人類に突きつけられている危機は、わたしにはほぼ回避不能のように感じてしまう。わたしが本書に驚かされたのは、著者がまったくあきらめていないこと、解決策は見つからないにもかかわらず、それでも可能なことを深く考え抜くことをやめないその姿勢である。いや、何という説得力のないわたしの言葉であるか。わたしが書くとたんなる虚仮威しのようにしか響かない。しかし、本書はそんなつまらないものではない。わたしはここまで深く考え抜いている人間を、現在他にほとんど知らないのである。何かのまちがいでもよいから、著者のメッセージが少しでも多くの人に届くとよいと思っている。
 それにしても著者は、嵐を避けて閉じこもることは多くの場合賢明であるけれども、終末が近いいまはそれではダメだという。行動しなければと。行動しない人であるわたしは、どうも恥ずかしい気持ちだ。普段なら無視するところであるが、これほどまでに誠実な著者ゆえ、わたしは困る。他人にはどうでもいいことだが。とりあえず、『アイデンティティが人を殺す』を再読してみるか、迷っている。

世界の混乱 (ちくま学芸文庫)

世界の混乱 (ちくま学芸文庫)

それにしても、いまだ極東は「現場」から遠いのだな。我々の危機感のなさは、それも大きな要因だと認めざるを得ない。それでいまのところ済んでいる我々の「幸運」。


上でわたしはつい「現在人類に突きつけられている危機」と書いてしまったが、ではそれは具体的には正確に言って何のことか? わたしはたんに漠然とありもしない不安を煽っているだけなのか? いや、それは自分の中で明確化されていないだけで、確かに何かあると思う。例えばそれは、抽象的な言い方になるが、あるいはコミュニティ同士(あるいは集団間)の共感不可能性とでもいえるだろうか。大きな規模では、キリスト教徒とイスラム教徒間の共感不可能性。欧米人とアラブ人の間の共感不可能性。ある国の国民と別の国の国民の間の共感不可能性。国民と移民間の共感不可能性。エスタブリッシュと大衆の間の共感不可能性。日本でだと、ネトウヨサヨク・リベラルとの間の共感不可能性。まあそんな感じだ。それらはまたすべて、インターネットが共感不可能性を強化する構造になっている。対話が不可能になっているのだ。まだ罵倒し合うだけならよい、世界のホットな場所では、現実の血まで流される事態になっている。わたしの念頭にあるのは、そんなところだ。我々凡人は怒りと固執を解消することができない。わたしは、それらの問題を解決するのはほとんど不可能だと思っているが、アミン・マアルーフはそうではないのである。