加藤聖文『満鉄全史』 / 東浩紀『新対話篇』

曇。
慧眼の方はおわかりかも知れないが、ずっと精神的に調子が悪い。そのせいか、腰も不調でよくない感じ。まあ、何とかぼちぼちやっていく。

起きて『満鉄全史』を読む。

郵便局。スーパー。


加藤聖文『満鉄全史』読了。著者はわたしよりも少しだけ年配の方であり、ほぼ同世代といってよい。当然、戦争とは直接の関係をもたず、それどころか歴史の陽だまり、あるいはぬるま湯のような80年代を育った方の筈であるが、本書は「国策」という観点から、強い同時代(的危機)意識をもって敢て満鉄を研究したとあとがきにあってなるほどと思った。読んでいて、とても「強い」文体で書かれていると感じたからである。登場人物の歴史的評価ということに関しても積極的であり、わたしにはその当否は判断できないもののずばりと単刀直入な評価がなされていると感じられた。正直、著者はかなりの自信家なのかとも感じたくらいである。あとがきにおいても、現代の日本人に対して強く批判的であるといってよい。と、本書の内容とは関係ないことを書いたが、わたしにはそれが印象的であった。『満鉄全史』というのもかなり自信を感じさせるタイトルであるが、本書は満鉄の始めから終わりまでを、それこそ「国策」を中心に簡潔にまとめた本であると思う。もとより、無知なわたしには中身の判断はできないが、興味深く読んだ。わたしも「特急あじあ」や「満鉄調査部」の素人(通俗)イメージくらいはもっていたが、本書の内容はほぼ未知であったというべきである。しかし、現在の一般人であれば、よほど特殊な方以外は、わたしと似たような体たらくではないか。本書は満鉄の歴史であるが、ということは日本の近代史、特にその混乱と矛盾が題材といってよい。本書を読むと、日本の満州政策が、まったくの無統一と場当たり的対応に終始していたことが歴然とわかるようになっている。引いては、そのことの現代における我々の無知が、まさに現代における日本人の中国(人)観の底の浅さに繋がっているといわれれば、我々は反論の余地があるまい。いずれにせよ、現代における日本人の底の浅さをぼんやりと考えているわたしにとっても、得るところの少なくない書物であった。そして、わたしの無知もまた明らかになったというべきであろう。

 
雨。入梅
珈琲工房ひぐち北一色店。立花隆武満徹・音楽創造への旅』の続き。第一部読了。ここで武満さんが亡くなり、連載のひと区切りになった。第42章まで読んだことになる。本書を読んでいつも書くことであるが、本書は我々、というかわたしの(精神的)貧しさを浮き彫りにする。もちろんわたしの才能のなさは当然のことで特に問題とするに足りないが、それ以外に、何も埋めることのできない貧しさがある。それはいったい何なのか。どうしようもないものなのか。それは残念ながらわたしだけの問題ではないから、ひょっとしたら、誰かの役に立つこともあるかも知れないと思って探求している。ま、基本的には誰の役にも立たない、無意味なことなのだろうけれど。

しかし、わたしは武満さんの音楽をそれほど聴いていないのに、なぜ聴くといつも強烈に惹かれ、とてつもない深さを感じるのか。何かコスミックなもの。武満さんについてウソ、でたらめ、見当ちがいを書いている人を見ると、嘆息したくなるが、これは傲慢というものであろう。わたしは武満さんの発言にもとても惹かれるので、本書はじつにすばらしい。立花隆氏の最高傑作ではないかと思っている。武満さんの書いたものはあんまり読んでいないので(文庫化されているものは読んだ)、ぼちぼちと読んでみたいと思う。

NML で音楽を聴く。■バッハの「音楽の捧げもの」 BWV1079 ~ Fuga canonica in Epidiapente, Ricercar a 6, Canon a 2 Quaerendo Invenietis, Canon a 4, Canon perpetuus (NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第六番 op.10-2 で、ピアノはメロディ・チャオ(NMLCD)。■武満徹の「オリオンとプレアデス」で、指揮は山田和樹、日本フィルハーモニー交響楽団NML)。

武満徹:管弦楽曲集

武満徹:管弦楽曲集

 
東浩紀『新対話篇』読了。対談集。
新対話篇 (ゲンロン叢書)

新対話篇 (ゲンロン叢書)

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/05/01
  • メディア: 単行本