『圏論の歩き方』

晴。秋の好天。

昼から米屋。餃子の王将。スーパー。

ぼーっとするために生きている感じ。のべつまくなしにぼーっとしております。で、寝ると。このまま白痴化するのではないか。

老害化するわたくし。

図書館から借りてきた、『圏論の歩き方』にざっと目を通す。僕は圏論について、ほとんど予備知識がない。まあグロタンディークの名前は知っているが、それよりもプログラミング言語 Haskell への関心から本書を手に取ってみた。で、読んでみたのですが、まあほとんどわかりませんでしたね。でも、たぶんこれは自分の頭が悪いせいだけではないと思う。また、本書がいけないともいえない。圏論は数学の一分野であるが、とても奇妙なものである。本書でも、純粋数学(?)以外に、物理学、コンピュータ科学、生物学その他の分野が扱われている。それくらい、わけのわからない学問なのだ。本書で自分が勝手に理解したところでは、圏論プロパーみたいなものはあんまりおもしろくないのである。圏論というのは、人間の知能の抽象性をかなり一般的に記述する、構造のための(数学的な)一般言語なのだ。本書で印象に残った考え方に、圏論は問題を解く上で必須のものではなく、ただ抽象的な構造を機械的に考えるのに便利だというものがある。これはプログラミング言語の例で自分にはよくわかることで、あらゆるプログラムはアセンブラで書けるのだが、実際にはたとえばウェブサイトの構築をアセンブラで行う人はまずいない。抽象的な処理のできる「高級な」プログラミング言語を使わなければ、面倒くさすぎてやっていられないからである。ここでは面倒なことは定型的に抽象化されるわけだが、圏論のはたらきもそのようなものであるらしい。
 だからというべきか、圏論はまあわからないのだが、圏論で使われているタームは意外と耳慣れたものも多い。数学の様々な分野を抽象化したからであろう。それにしても素人ゆえ驚いたのは、圏論では既に「点集合」というものまでさらに抽象化されているらしいことである。自分は位相空間論においても点集合を考えて理解してきたし、それによって基礎づけられる実数論も完全に点で考えていたので、えっという感じ。でも、我々としては、やはり「点」を廃棄してしまって構造から考えるというのは、実際最初からそれというのは凡人には無理だと思う。もう何だかわかりませんが。
 しかし、アホでもここまでは(誤解多数であろうが)わかったのだから、本書のような超ゆるいアプローチは凡人には意味があったと思う。なかなか楽しく読みました。最後にまた書いておくが、自分は圏論はわかっていませんからね! 今度は教科書的なやさしい本を探して読んでみるかな。ああそうだ、あんまり関係ないけれどグロタンディークの自伝が積読だったな。いけねえや。

圏論の歩き方

圏論の歩き方

 

 
ドンキ(株式会社ドン・キホーテ)の 1万9800円の PC が話題になっているが(ほとんどバカにされている)、スペックがこのとおりならサブ機としてならさほど問題ないのではないか。外部ストレージを使えば、かなりいけると思う(メモリは増設できないようだ)。というか、自分なら Windows 10 を殺して軽量 Linux を入れるので、32GB ならほぼ問題なし。ただ、Windows でさらにウィルスバスターとか入れると、これは苦しいだろうな。でも、液晶がフルHD なのは反則(?)だろう…。

しかし、Windows + ウィルスバスターは何とかならないものか。ストレージは食うし、遅くなってもっさりするし、金はかかるし、いいことがない。皆んなこれどうしているの? Windows は重い処理をするとすぐフリーズするしな。