猫、罠に掛かる/阿部彩『子どもの貧困II』

日曜日。晴。暑い。
音楽を聴く。■モーツァルト交響曲変ロ長調K.App.214、第八番K.48(ベーム参照)。変ロ長調のがいい。■ショパン:ピアノ協奏曲第一番(ラン・ラン、メータ)。ピアノは第一楽章はまずまず個性的だが、残りの楽章はちょっと優等生的すぎるのではないか。悪くはないけれど。ただ、技術的には楽々と弾かれていて、どんな楽句でも音色が保たれているのはすごい。メータの指揮は、可もなく不可もなし。しかしこれでは、VPOの意味がないのではないか。

Piano Concertos 1 & 2

Piano Concertos 1 & 2

ドビュッシー:版画〜グラナダの夕べ(青柳いづみこYou Tube)。紛れもなく日本人ピアニスト特有の癖が出ている。これ、何だろう。悪いっていうのじゃないんですよ。

ヌートリアorアライグマ用の罠に、猫が掛かりおった。砂糖まぶしの油揚げにつられよって、たんちんな奴…

図書館。
夕方、雨樋の掃除。

図書館から借りてきた、阿部彩『子どもの貧困II』読了。前著が「子どもの貧困は日本に存在する」という事実を指摘した本だとすれば、本書は「それを解決するには何をやったらいいのか」という疑問に答えようとした本だと云えよう。そして、結論から云ってしまえば、一律にこれをやればいいという万能策はない、というものである。まず、子供の貧困に関する必要な事実は、まだまだわかっていないことが多い。そして、対策を立てるということは、それが公の仕事であれば、必然的に税金を使うことになる。資金は無限にあるわけではないのだ。例えば、子育て支援をするなら、広く薄く資金を投入するか、狭く厚くするのかという問題がある。また、費用対効果も考えねばならない。最も有効な政策は何か、という問題であるが、これを解く難しさは、子供の貧困に限らない、普遍的な問題でもある。
 しかし、本書ではっきりわかることもある。子どもの貧困は、いわゆる負の連鎖を引き起こす。つまり、貧困家庭の子供はまた貧困家庭を作りがちだということだ。それは、親という存在が、金銭的にも「文化資本」(ブルデュー)的にも、かかる負の連鎖に大きな関係があるということでもある。子供の将来への影響という点では、子供の乳幼児期(0〜6歳くらい)が一番重要らしい。話題は少し離れるが、事実として意外だったのは、日本における子供の(相対的)貧困率は、1985年からきれいに一定して増加しているということだ。この間にバブル期も失われた二〇年もあるのだから、子供の貧困の原因というのが、なかなか一筋縄ではいかないことがよくわかる。
 子供の貧困という問題は、最近大きく浮上してきた少子化の問題とも関わってくるだろう。また、対費用効果の点から云っても、子供の貧困の問題は経済問題でもある。試算してみても、子供の貧困への対策が成功した場合、その子供の人生が好転することで、将来の社会保障費などは減って、収められる税金などは増加するのだから、はっきりと国のためにもなるのだ。そう思えば、自分のように独身で、将来子供を持たない可能性の高い人間にとっても、この問題は決して他人ごとではないと云うことであろう。
※追記 忘れていた。いわゆる「トリクルダウン」はダメなんだって。つまり、(子供の)貧困をなくすには、経済を良くして、その恩恵が次第に底辺層に達することで解決するという考え方は、ダメなのだということ。本書には詳しく書いているわけではないが、これは重要な話なのではないか。それから、これは当り前の話なのかも知れないが、格差の少ない国というのは、いわゆる「大きな政府」が圧倒的に多いということ。これは、(福祉的に)「小さな政府」のアメリカの例などを見れば、(逆方向だが)よくわかる話である。
子どもの貧困II――解決策を考える (岩波新書)

子どもの貧困II――解決策を考える (岩波新書)