國分功一郎『はじめてのスピノザ』

日曜日。晴。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのセレナード第十二番 ハ短調 K.388 で、演奏はウィーン・フィルハーモニー木管グループ(NML)。この曲が聴きたくなって、検索して聴いた。1973年の録音で、CD でももっている筈である。記載からするに演奏者はウィーン・フィルのメンバーらしいが、ほんとにうまい。特にリードする(第一?)オーボエがめちゃくちゃにうますぎるほどうまくて、びっくりする。本来、ここまで完璧に演奏する曲じゃないような気もする。いずれにせよ、好きな曲。

Wind Concertos & Serenades

Wind Concertos & Serenades

  • アーティスト:Mozart,Vpo,Bohm
  • 発売日: 2006/10/10
  • メディア: CD
この CD BOX はもっている。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十四番 K.491 で、ピアノはグレン・グールド、指揮はレナード・バーンスタインニューヨーク・フィルハーモニックNML)。1959年4月4日のライブ録音。音質が悪く、ヒスノイズは大きいし、会場の雑音もうるさく、何とか聴けるレヴェルというところであろう。大音量になると音がつぶれるし。グールドはこの曲をスタジオ録音しているが(たぶん、このあとだろう)、それと比べればさほどグールドっぽい演奏ではないような気がする。しかし、グールドの広い、繊細な感性はやはり印象的で、ひさしぶりに聴いてさすがだなと思った。終楽章の後半には惹き込まれるところもあった。バーンスタインはグールドと比べると大づかみで雑なところがまあウリで、それはそれで聴かせる。まあ、ふつうの人(?)はわざわざ買ってまで聴くこともないという気もするが、わたしにはおもしろかったことは確かだ。
Bernstein conducts Mozart and Cage

Bernstein conducts Mozart and Cage

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282 で、ピアノはクリストフ・エッシェンバッハNML)。エッシェンバッハという人はピアニストとしての実力的にはどうなのか知らないが、このモーツァルトなどおもしろいな。もともと指揮者になりたかったそうで、いまはもうピアノはほとんど弾いていないのじゃないかな。知らんけど。
Mozart: Piano Sonatas

Mozart: Piano Sonatas

 
いい天気。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『武満徹著作集1』の続き。武満さんの書くものはある種の秀才には評価されないことはわかり切っているが、わたしは読んでいると(まともな人はいるんだ…)とでもいうべき心持ちになってくる。文章は武満さんの音楽と連続しているが、一方でこれはこれで独立した価値があるとわたしは思う。武満さんにおいて書くことは本業ではなかったが、書くことにおいても非凡であった。陳腐な言であるが、深さあるいは高さを感じるといわざるを得ない。詩ではないけれど、散文と断定するのも憚られる。比喩の多い、丁寧に綴られた文章だ。音楽と同じく抽象度が高いが、「抽象的」というのもどうか。そもそも、具体的なモノにも抽象度の高いものはある。武満さんのモノには、そんな感じがある。「地上から樹が失われてゆくのは悲しい。」(p.103)ここでの「樹」は、具体的な一本一本の樹であると同時に、すべての樹のことでもある。「ところで、私たちは、たとえば抽象的な赤という色彩についての正確な唯一のイメージをもちうるであろうか?」(p.133)「赤」というイデアは既にして抽象であるが、現実の赤たちはすべて同じ色彩でない。以上書いたことは秀才的には非常に陳腐なことである。しかし、そこのところが本当にわかっている人間は非常に少ないかも知れない。すべてはそのことに還っていくといってもいいのかも。陳腐ではあるが、様々な言い方で言い続けねばならないことなのだ。
武満徹著作集〈1〉

武満徹著作集〈1〉

 
ひさしぶりにカルコス。精神の老化で、本屋へちっとも行かなくなってしまった。新刊書店へ行くと、無数の声がオレガオレガといっているかのようで、気が滅入ると書いていたのは開高健だった。その開高の評伝がちくま文庫に入ったので、買ってくる。著者の小玉武という人はまったく知らない。わたしが開高を読まなくなってから随分経つが、かつて充分にむさぼり読んだのでいいのである。文庫本で、ほぼ全作品を読んだはずだ。開高はじつに読書家だった。谷沢永一の書庫が近くにあったのは、若き開高にとって僥倖であったが、しかし、僥倖って言ってよいものかね。それで、人生変えられてしまったということでもあるな。

國分功一郎『はじめてのスピノザ』読了。NHK のテキストを増補したもの。薄い本だが、いやー、おもしろかった。本書におけるスピノザの考え、國分さんの考えの多くにわたしは疑問、不満を感じるが、こういう根底から考えさせられる本はあまりない。まあわたしの考えなどはどうでもよいが、それにしても今日本屋へ行って、哲学について書かれた本がじつに多いことに驚かされた、あるいはちょっとうんざりさせられた。文庫・新書・選書の類で、書名に「哲学」の文字がついているものが山のようにある。いまは一般に哲学が強く求められている時代なのだなあ。ネットを見ていても、同じことを感じる。

わたしは、自由とは没頭しているときに存在するものだと思う。意志とは進化を貫いているものだと思う。


夜、大岡信『詩人・菅原道真』(岩波文庫)を読み始める。第二章まで読んだ。かつて大岡さんの『日本の詩歌』(これも岩波文庫だ)を読んで漢詩人としての菅原道真の力量を知って驚いたが、本書もまたすばらしい。注解されて知る道真の漢詩の底を流れる感情の深さに打たれる。また、大岡さんその人の深い古典的学識と読解の繊細、そして情理兼ね備わった見事な文章。と書いてきて、自分の形容の凡庸に嫌になるが、とにかく、こんな本はもう我々の誰にも書けない。多くを我々は失ってしまったな。続けて読む。
obelisk2.hatenablog.com