ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』

日曜日。曇。
後始末がしんどい。とってもキモい。

モーツァルトのピアノ・ソナタ第十七番 K.570 で、ピアノはエミール・ギレリス
昼から仕事。
人気のシロクマ先生のブログなどを読んでいると、自分の時代遅れぶりをまたしても痛感させられてあまりいい気分でない。僕は「ゼルダの伝説」について長々とブログに「批評」を書いてしまうおっさんには到底なれないことであろう。(エロサイトについてなら書きたい気もほんのちょっとだけするが。)何だかネットを見ていると、お前などはさっさとこの世から退散したらどうだね、この時代遅れの田舎者めというような被害妄想に駆られないものでもないのである(それが本気になってきたら病人である)。まったく時代に適応していない、そのとおり。まあ、もう少し無駄な努力をしてみるつもりではあるが。
そうだなあ、そのうちまたゲームもやるかなあ。これでも学生の頃は結構ゲームもやったんですけれどね。「ドラクエ3」くらいはやりました。「ブラックオニキス」も「ダンジョンマスター」もやったし、ゲーセンで「バーチャファイター」にもハマったぜ。「リッジレーサー」とかも懐かしいなあ。齢がわかるぜ。もうでも、そういうのは面倒で仕方がないのだ、くたびれたおっさんは。ゲームをしていると、どうでもよすぎて何かむなしくなってくる。おっさんになってもゲームができるのというのは、尊敬に値するなあ。

プロコフィエフのピアノ・ソナタ第七番 op.83 で、ピアノはカティア・ブニアティシヴィリ。いやあ、よかった。このコ(?)なかなかかわいい顔をしているのに、えげつない演奏でよかったし。曲はもちろん二〇世紀音楽のポピュラー曲ともいうべき傑作。第六から第八番までを総称して「戦争ソナタ」というが、プロコフィエフがどういうつもりでそういうことにしたのか知らないけれど、超カッコいい曲である。カッコよすぎて、現代音楽の範疇に入れない人もいそうだが、いつ聴いてもフレッシュだ。この曲は不協和の鮮烈な部分だけでなく、叙情的・瞑想的な部分がまた聴かせるのであり、プロコフィエフの円熟した作品はすべてそうであるといえるだろう。初演者のスヴャトスラフ・リヒテルの何種類もあるライブ録音がベストだが、若きポリーニの録音など、他にもいい演奏はいくらでもある。(リヒテルは、是非第八番を聴くべきである。全身総毛立つ演奏というのはこういうものだ。)特に若い人の演奏が気になってしまうな。

シューベルトのピアノ・ソナタ第十四番 D784 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル。1979 Live. 吉田秀和さんではないが、リヒテルシューベルトは巨大すぎる気がする。この演奏など、フォルテッシモはやり過ぎではあるだろう。しかし、第一楽章である。そのなかでも特に、第二主題だ。僕はリヒテルの演奏でこれを聴くと心臓が止まりそうになるというか、目が水分を発することが止められない。なんというか、本当にささやかな音楽なのだが。こういう感じは他のどの作曲家の音楽でも覚えないことである。結局、シューベルトのピアノ・ソナタは、傑作は他にいくつもあるけれど、バランスの悪いこの曲が自分にはいちばんこたえる。じつに危険な演奏である。どうも、ブレンデルあたりの演奏を聴くのが本当はよいのかも知れない。
松崎ナオの「川べりの家」ってホントにいいな。何回も聴いてしまう。

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』読了。澤井繁男訳。本書の歴史的評価とは別に、僕としてはデッラ・ポルタが意図してかそうでなしにか、とにかくとんでもない法螺を平然と(?)並べ立てている部分がおもしろい。じつにどうでもいいのだけれど、それが笑えるくらいである。例えば(女性の)「しわの寄った額への対策」という部分。「亜麻仁油のかすが良い。オリーブ油のかすも良い。オリーブ油をアラビアゴム、トラガカントゴム、マスチック、樟脳と混ぜて塗ると、乳房のたれさがりにも良い」とか(笑)。誰かやってみます? また、「アヒルをいかにして素手でつかまえるか」という部分。「アヒルがいつも水を飲む場所を観察して、そこの水をとりのぞいてワインを入れておく。ワインを飲むとアヒルは倒れてしまって、簡単につかまえることができる」なんて、どういうつもりで書いているのか(笑)。まあこんなところばかり引用してはデッラ・ポルタは怒るかも知れないが、おもしろいのだよねー。

自然魔術 (講談社学術文庫)

自然魔術 (講談社学術文庫)

なお、本書は原書の三分の一程度の抄訳であるらしい。まあこれでも内容はだいたいわかるようである。