『ウンガレッティ全詩集』

晴。
基本に。基本ってのは最初にやるというよりは、一生それに立ち返っていくものである。それを見つけることが大事なのだ。見つけた人は幸いなるかな。

丸亀製麺イオンタウン各務原。とろ玉うどん大+イカ天+エビ天。うまかった。
スーパー。

通院治療。


NML で音楽を聴く。■シューベルトのピアノ・ソナタ第四番 D537 で、ピアノはワルター・クリーン(NMLCD)。まさしくこれは我々の知っているあのシューベルトだ。シューベルトのピアノ・ソナタは、おそらくここからシューベルトその人になると思しい。いい曲ですね。しかし、すばらしい第二楽章は、自分の記憶だともう少し装飾音が付いていた筈なのだが、エディションがちがうのかな。■シューマンのピアノ・ソナタ第一番 op.11 で、ピアノは浜口奈々(NMLCD)。うん、これは昨日聴いた「ダヴィッド同盟舞曲集」の演奏よりもずっとわかった。というか、昨日聴いたのはこちらが無理解であったのかもな。このピアノ・ソナタ第一番は、よく弾き込んであるように感じた。日本人ピアニストのユニークさが出ていると思う。ただ、自分はシューマンと同じ分裂気質で、シューマンを偏愛しているので、この健全な演奏は多少もの足りなかったのも事実である。それに、このピアニストは、それほどロマンティックというわけでもないようだ。数少ないであろう録音の機会に、シューマンを選んだのはよかったのかなとも思う。まあしかし、それは余計なお世話というものであろう。さらなるご活躍を祈念したい。■シューマンの「交響的練習曲」op.13 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。1958/11, ウクライナでのライブ録音。うーん、困る。詳細に書こうか迷うが、まあ簡潔にしておくか。まず、ノイズ処理がしてあって音は驚くほど美しい。ただ、変奏間にデジタル的な空白が取ってあって、それが不自然で気になる。演奏は40代前半のリヒテルの凄まじさが全開で、手加減一切なし。そして、かなり微分的というか、即興的というか。いちばん問題なのは、飛んでもない第六変奏の爆演(爆炎?)のあと、息をつめて第七変奏冒頭の一撃を待っているところに、なんと第九変奏である! 第七、第八変奏が省略されているのだ! これはつらい。でも、確かスタジオ録音でもこうだった気がする。何故? わかりませぬ。という感じで、万人に勧められるものでは毛頭なし。リヒテル狂、そしてこの曲を偏愛する者だけ聴けばよいのかも知れない。なお、フィナーレの最後の方、ミスタッチというよりは弾き間違いというくらいの大きなミスがあったりする。困る困る。とにかく、こんな体験はリヒテル以外ではありえない。

Schumann/Brahms: Richter

Schumann/Brahms: Richter

これ、CD だと12枚組なのだが、詳細を見てみると聴かざるを得ない感じだな…。NML バンザイであろうか。

『ウンガレッティ全詩集』読了。河島英昭訳。本当は「読了」などと書くべきではないかも知れない。ただ活字を追った程度の読み方しかできていないので。一読では何もわからなかったといっていいだろう。しかし、訳者・河島英昭氏の解説には感銘を受けた。(思えば、この老文学者の翻訳で、どれほどの文学作品を読んできたことだろう。)解説を読んで、また始めから少し読み直しているところである。確かに翻訳で詩を読むというのは無意味なのかもしれないが、でも自分は外国語ができないのだから、翻訳で読まなかったら読む術がない。どうしようもないのである。それにしても、訳者も書いておられるが、詩の翻訳をするというのはほとんど絶望的な作業でもあろう。「翻訳は裏切り」ということわざ(これ自体じつは翻訳不可能なのだが)があるくらいで、もとの詩とは似ても似つかないものができる他ないからだ。そして、その苦心の翻訳を、自分のような文学のわからない奴が読む…、絶望的である。でも、仕方ないではないか。そうするより他にしようがない。まあつべこべ言っていないで、もう少し読み直します。で、クァジーモドもあるので、余裕があったらそれも読みます。

しかしこれは、岩波文庫以外の文庫では無理な出版かもしれないなあ。このところの岩波文庫の詩の充実ぶりはどうなっているのだ。すごい。